2020年5月30日土曜日
フランスは、動き始めている
いなか道をすすんでいくのは、
なんとも、気持ちいいことです。
きのうは、用事があって、
一時間ちょっと、車を走らせました。
けれど、
今、麦畑は、
青い麦でいっぱいです。
青というのは、みどり、です。
みどりの穂が、ねこじゃらしのように、
ぽやぽやの毛の中に、見えます。
それが、
私の花粉症の、原因となります!
車の中でも、
私はマスクをして、すすみました。
私は、ふだんは、マスクをしません。
このウイルスのおかげで、
マスクをするようになって、
ありがたいのやら、なんのやら。
花粉がふせげるのだなぁと、
新しい発見を、しました。
さて、
田舎の、その目的地には、
古い納屋があります。
涼しいいい風が、
木を、ゆらゆらさせます。
私も、肌に風があたって、気持ちいいです。
もし風がなければ、
強い日ざしに、暑さで、やられそうです。
そこで、
なにに、会ったかといいますと、
例の、「くしゃくしゃ」ルージュクです。
ぴよぴよ、ぴよぴよ、と
さかんに鳴いては、「くしゃくしゃ」と、
さいごを、かざります。
それが、
ずいぶん、さかんでした。
写真に見えますでしょうか?
残念ながら、
小さいのです。
屋根の尾根の、まん中に、いるのですが。
そのわりには、
たいそう音は、大きいです。
存在感は、ばつぐんです。
そのあと、
このうちの、猫くんが、2匹、
あいさつに来てくれましたが、
帰るころには、
納屋の上の方で、ひるねをしているのが、
見えました。
写真に、見えますでしょうか?
暗やみの中の、黒猫です。
耳が、ちょっとだけ、見えるかもしれません。
なんとも、
ゆったり、おっとりした、田舎の風景に見えました。
その中で、
この農家のおかみさんは、
高い声で、
楽しそうに、早口で、話します。
そのあと、
私たちは、
町のほうにもどって、
ハンバーガーを買って、
湖のそばに腰をおろして、
お昼にしました。
ハンバーガー屋さんは、
まだ開けられていませんが、
(すわって食べることはできませんが)
車で行って買うことは、できました。
はちみつを取り扱う人のように、
マスクやら、シードをつけた人が、
注文を取りに来たり、
品を受け取る時は、
窓から、お盆で、差し出してくれて、
「ここだけをさわって、
袋をとってくださいね」と、言っていたり、
ウイルス対策は、じゅうぶんでした。
それにしても、
異様な、信じられない光景だと、
思いました。
久しぶりの、外食は、
とてもおいしく、感じられました。
釣りをしている人が、いく人かあって、
にぎやかでした。
マスクをして、じっと、釣り糸をたれてる方も、
ありました。
そして、
夕方には、首相が、
解除の第2弾を、発表しました。
フランスは、少しずつ、動き始めています。
レストラン、バー、
スポーツジムも、少しずつ開くことになりそうです。
まぁ、私は、たぶん、きっと、
すぐには、行かないかもしれません。
夕方、散歩に町に出てみれば、
みなさん、うれしそうな雰囲気でした。
笑い声がきこえてきたり、
音楽がきこえてきたり。
車も、ずいぶん戻ってきましたし。
ほっとなされてる方も、多いのではないかと、
思いました。
きょうも、読んでくださって、
どうもありがとうございました。
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2020年5月27日水曜日
団子とパンのハーフ
けさは、
「あ、新しい朝ごはん!」と
楽しい気持ちで、おきあがりました。
実は、
きのう、
米の粉でパンを焼きましたところ、
みごとに、失敗しました。
ぜんぜん、ふくらまなかったです。
イースト菌は、小麦のグルテンとマッチして、
パンをふくらませてくれるそうですから、
お米の粉で、どうなるのか、
まったく、わかりませんでした。
それでも、
成功する方々が、あるのです。
その方の分量を、ためしたのですが。
いつもの、3分の一くらいしか、
ふくらんでいませんし、
頂上は、まっ白でした。
きれいといえば、きれい。
そして、
味は、、、
わりと、
おいしいです。
なんとも、
たとえようのない、ミックスです。
味は、おせんべいのようで、
感じは、固めの、みたらしだんごのようで、
いくらかんでも、
なかなかとけない、その密度は、
パンからは、とても、かけはなれています。
ほとんど、
スルメイカのようです。
と、
そういう、パン(?)が、
待っているのだと思うと、
さっさと、下におりてきました。
さて、
トーストして、
バターをぬって、
いただきましたが、
いったい、甘い味がいいのか、
甘からのタレをつけたらいいのか、
迷う味でした。
半分くらいで、
お腹がいっぱいになりました。
これから、しばらく、
このパンを、いただくことになります。
切り口は、
白くて、とても、きれいです。
パンと、おもちの、中間の様子。
日本と西洋が、まざった結果です。
それというのも、
ロックダウンのせいでか、
このあたりでは、小麦粉が足りなくなり、
手に入らなくなりました。
それで、
お米の粉を注文したのです。
きょうは、
ブルターニュ地方から、
家族の人が、来ます。
小麦粉と、そば粉を、持ってきてくれることに、
なっています。
ブルターニュ産だそうです。
ところで、
ロックダウン以来、
私は、よく、ニュースを見るようになりました。
いつもは、
ほとんど、見ません。
今回ばかりは、
政府が決めることが、直接、私のすることに、かかわってきます。
ですので、
毎日、注意して、見ています。
すると、
たまに、
ふしぎに思うことがあります。
たとえば、
人々が、ものを買わないから、
経済が困る、ということです。
なんとなくは、わかります。
でも、
無理して買うこともないんじゃないですか、
とも、言いたくなります。
今、フランスの自動車工業は、
あぶなくなっています。
それで、みなさんが、
(電気)自動車を買うように、と、
政府が、援助するかもしれないそうです。
けれど、その、
買ってくれないと困るので、
買ってください、というのは、
私から見ると、
「経済」は、ふしぎです。
火事がないと、
消防署が成り立たない、と言ってるのと、
ほぼ同じように、
私には、思えます。
必要ないものを買うから、
「経済」が成り立つ、というのでしたら、
私は、考えこんでしまいます。
必要のないものに、
私たちは、がんばってるのかしら。
ところで、
ロワール川にかかる橋を、
散歩していますと、
いろいろ水鳥が、見えます。
いつも、
ソロボーイの白鳥くんがいましたが、
きのうは、
パートナーと一緒でした。
2ヶ月くらい、ひとりもんだったのですが、
きのう、
あたりまえのように、ペアで、
お化粧をしていました。
きょうも、読んでくださって、
どうもありがとうございました。
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2020年5月25日月曜日
コロナがはやれば、ミシンが売れる
きのう、
夕方の散歩していましたら、
高いところにある、石像の、ラブレーさんが、
こういうアピールを、しているのに、あいました。
なんだか、
ヒップホップの姿勢で、
「おい、
こら、
マスクはしないかね」
と、
言っているように見えます。
楽しいことをしてくれる人が、いて、
うれしくなりました。
ところで、
このへんでは、
いく日か前に、若い人のあいだに、
クラスターがおこりました。
全国ニュースでも、とりあげられました。
そのせいか、
ロワール川ぞいの散歩道は、またもや、
禁断になりました。
このあたりの方々の、
「おっとりさ」と、
このウイルスとの戦いは、
いかに。
先日、
ミシンやさんに、電話をしました。
ミシンの調子がよくないので、
いったん、整備してもらおうと、思いました。
そのお店は、
ウイルス騒ぎ以来、
とても混んでいます。
新聞にも、のったくらいです。
「第一必要品」と認められていて、
店も、開けてよいとされていました。
たぶん、
みなさんが、マスクを作るからだと思います。
そういえば、
布地やさんも、
開けていました。
整備のために、
いったいどのくらいの時間がかかるのか、
たずねてみましたところ、
一ヶ月は、かかるということです。
それに、
お店の中にはいるのに、
一時間も、待たなくてはならないこともあるそうです。
「すごいですね。
すごく必要とされてますね」
と、言ったら、
「極端に、すごいです」
という答えでした。
そのお話しっぷりも、
急いでいる、という感じでした。
では、
また、落ち着いたころに、
出向きます、と、
電話をおきました。
こんなにミシンが売れるなんて。
数ヶ月前には、
だれが、考えていたでしょう!
風がふけば、桶屋がもうかる、は、
どういう説明なのか、忘れましたが、
だいたい、それと同じくらいのレベルだと、思いました。
日本のテレビを見ていましたら、
ヘアカットを、
ネットで通信販売しているというのが、
ありました。
これは、
とても、いい、です。
さすが、日本人、
いいアイデアを出すのがおはこ、
だと
思いました。
お客さんは、
自分のうちで、
はさみと、ゴミ袋を用意して、待つ。
すると、
プロのヘアカットの方が、
テレビ電話で、いろいろ、指示してくれるのです。
これは、
いい考えです。
私も、
今回、
夫の髪の毛を、バリカンで、かりました。
初めてのことなので、
ちょっと心配でしたが、
まぁまぁ、なんとかなりました。
でも、頭のてっぺんあたりは、
ちょっと短すぎだったと、思いました。
これだって、
このプロの方に、つきそってもらえたら、
かなりいい線いけただろうと、
思いました。
こういう、ステキなアイデアを出す方に、
ブラボーを言いたいです。
きっと、困って困って、
生まれたアイデアなのかもしれません。
それでは、
これから、また、オンライン講座に、
とりかかります。
これまた、
なかなか、いいシステムではないかと、
思ってしまいます。
すばらしい成長をとげてらっしゃる生徒さんが、
いく人か、あるのです。
でも、
それは、オンラインでなくても、
ふつうのレッスンでも、
そうだったかもしれませんから、
よく、わかりません。
人が、どう成長するかは、
そうかんたんには、説明できない、
と思います。
それでは、
きょうは、このへんで。
きょうも、読んでくださって、
どうもありがとうございました。
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2020年5月23日土曜日
必要ないもの
きのう、おとといは、
とても暑かったです。
ころもがえの時、と思って、
夏物の服を出してきました。
ここに住んでいると、
着るものについて言いますと、
春がなくて、
冬からそのまま、夏にはいるような感じがします。
ついこのあいだまで、ダウンのジャケットを
着ていました。
きのうは、
そでなしに、麻の、だぼだぼズボンでした。
風がはいってきて、気持ちいい!
というような、服装でした。
そして、
きょうは、ひさしぶりの、おしめり。
涼しくて、これまた、気持ちいいです。
ロックダウン以来、
そして、ひきつづき、
私は、オンラインで仕事をしています。
引き出しの中には、
使わない、腕時計が、そのままです。
革の、ショートブーツも、
あまり、使われていません。
もうそろそろ、箱に入れて、
秋まで、しまいます。
冬物の、ジーンズは、
ひとたび、しまいます。
今年は、あまり、はきませんでした。
家で、
いつも、気に入りの、
同じジーンズばかり、はいていましたところ、
すり切れて、もうこれ以上はムリ、という
状態になりました。
ジーンズは、
私のシュミです。
けっこう、たくさんの種類を、持っています。
けれど、
家にこもっていましたら、
結局、一番はきやすい、3本くらいばかり、
いつも同じのを、着ていました。
私は、頭をかしげてしまいます。
腕時計も、
いくつかのバッグも、
種類のありすぎる、くつも、
たくさんの、ジーンズも、
生きて行くのに、
あまり必要ないのではないかと、
思ってしまいます。
ロックダウン中、
「生活必需品」を買いに行くことが、ゆるされていました。
フランスでは、
「第一必要品」というのです。
私も、そういう買い物だけをして、
あとは、家にあるもので、生活しました。
ところが、
では、
第二、第三、必要品というのは、
なにかというと、
あまり、よくわかりません。
シュミのもの、
かざり、
栄養はないけど、おいしいお菓子、
というようなものかしら。
それにしても、
みなさんが、よってそろって、
第一必要品だけを買っていたら、
「経済」が、困る、
というのは、ふしぎなことに思えます。
今、ストップしてしまっている、
「経済」のエネルギー、
働くことのできない、みなさんの、
プロフェッショナルな、がんばりというのは、
第二、第三必要品、のため、
ということになります。
さて、
日本の新聞を見ていましたら、
どういう活動が、ウイルスの感染にかかわるか、
4つのカテゴリーに、わけられていました。
それによりますと、
私の好きな活動が、
いちばんよくない、カテゴリーにはいっていました。
なんとなく、
そんな気がしていたのですが、
はっきり書かれているのをみて、
なおさら、がっかりしました。
それは、
スポーツジムの活動。
それから、
バーや、ディスコなどでの活動。
私は、
友だちと食事に行けないのは、
あまり気になりません。
それより、ダンス!
これは、家でひとりでおこなっても、
ちっとも楽しくないのです。
フランスで、
いつ、これらが解除になるか、わかりませんが、
私は、日本人なみに、
慎重に、やっていきたいと思いますので、
当分は、
この楽しみが、禁断になってしまうでしょう。
私にとっては、
第一必要品、なのですが!
わが家の梅は、
大きくなってきました。
今年は、数は、少ないです。
梅干しを漬けたいと、思います。
そろそろ、
粗塩を、注文することに、します。
きょうも、
読んでくださって、どうもありがとうございました。
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2020年5月18日月曜日
コロナウイルスの、おかげ
どうやら、
フランスの音楽院は、
9月まで、開かないことになるようです。
私は、その方が慎重でいいと、思います。
いっときは、ピアノや弦楽器なら、
リスクはないから、
レッスンをはじめても大丈夫だろう、と
考える人たちがいて、
私は、ハラハラしたこともありました。
オンラインレッスンで、
このまま、続けることになり、
私は、ホッとしています。
ロックダウンを解除して、
一週間たちました。
知人友人が、ぱらぱらと、
たずねて来たりします。
このあたりの人たちは、
思ったとおり、おっとりしてらっしゃいます。
私は、どちらかというと、
外へ出るときなど、
慎重に、マスクをしますし、
なるたけ外へ出ないでいます。
けれど、みなさん、
そんなに心配もせず、
ふつうに、立ち話をしたり。
思ったとおり!
そういえば、
私は、このあたりの方々の、
なんとなく、ゆったり、おっとりした、
その温暖なキャラクターが好きで、
この地に、住むことになったのかもしれません。
もうあの世へ行ってしまった、
ある、マダムの声がきこえます。
「そ〜んなに急いで、どこへ行くんです。
あの世へいく時間は、たっぷりありますよ」
大きなからだを、ゆさゆささせて、
よく澄んだ、いい声で、
今、このウイルスのさわぎについて、
彼女なら、
何て、言うかしら。
「ぽっ、ぽっ、ぽっ。
人は、何かしらが原因で死ぬんですから。
(だから、ウイルスだって、まあ、そのひとつ)」
と、
笑って、
大して、気にもせず、
手を洗う、とか、
握手をしない、という新しいきまりを、
「あらまあ、そうしなくちゃね」と、
おこなう、という気がします。
ここ、ロワール地方の発音が、
きこえます。
彼女の、そのおっとりさには、
ずいぶん、助けられたことがあるのです。
今、思いかえして、
とても、そう、思います。
今の、若い方々も、
だいたい、
みなさん、こうして気楽にしてらっしゃる。
私は、長い時間、
ピアノの前で時をすごしてきましたので、
一人でいることには、慣れています。
それどころか、
一人でいるのも、好きです。
それよりも、
人の中にいて、話が通じなかったりする方が、
よほど、一人のみじめな気持ちがしますので、
このごろでは、
かなり、人や場所を、えらんでいます。
ですので、
このロックダウンは、
静かで、いい時間をすごせました。
これから、
9月まで、少し、退屈にも思えますが、
この
「一人」を楽しみたいと思っています。
本をたくさん読めましたし、
いつもは、人をはばかって食べない、
生タマネギのサラダや、
ニンニクも、たくさん食しましたし、
定年退職をしたら、
どんな生活になるか、思い浮かべましたし。
もちろん、
禁断になってしまっている、
大好きなことも、たくさんあります。
ダンス。
ヒップホップのクラス。
スポーツジムで、仲間と汗を流すこと。
レストランに行くこと。
海辺に行くこと。
旅をすること。
まぁ、しばらくは、しかたありません。
さて、
外からは、いろいろな音がきこえてきます。
職人さんたちの、声、
車の音、
しばらく聞こえなかった音です。
あぁ、フランスは、動き始めてるな、と
思います。
みなさん、
ゆったりと、
かつ、慎重に、じょうずに、
やっていかれますように。
読んでくださって、どうもありがとうございました。
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2020年5月16日土曜日
ぜんぜん意味がないことを、する
私は、
5月か6月になると、
花粉のせいで、鼻や目がつらくなります。
20年前くらいから、
悩んでいましたが、
このごろは、
ずいぶん、ラクになりました。
それは、
いろいろ試したので、
どれが一番効いているのか、
わからなくなりましたが、
おもに、
食事のしかた、と
ホメオパシーのおかげだと、思います。
ホメオパシーは、
フランスでは、昔からある民間療法のようで、
処方箋がなくても買えます。
私は、自分で、本で研究して、薬を選びます。
それは、
小さな、お砂糖の粒で、
いくらまちがってのんでも、
困ることはないそうです。
いずれにしても、
私は、
それを毎朝、寝起きに、4種類、
一粒ずつ、
口に入れます。
その粒の入れ物は、
日本の、ハンコくらいの大きさで、
ふたの部分を、くるりと回転させると、
ころりと、
小さな粒が、おりてきます。
まだ、ふたは、あけてはいけません。
このキャップは、
何個おりてきたか、確認してから、
おもむろに、あけて、
口の中の、舌の下に、粒をほうりこみます。
理由は、手でさわってはいけない、
デリケートな薬だからです。
ふたを、くるりと回転させるごとに、
小さな玉ころが、おりてくるのを見ていますと、
私は、福引きを思い出してしまいます。
遠い昔、
昭和時代に、
年末の、にぎやかな福引き会場に行って、
あの大きな木の箱を、ぐるりと回して、
「ころり」
と、
小さな玉が出てくる、
あの時のことを思い出します。
重くて、大きな木の箱。
苦労して回して、
いったい
何が出てくるかと思えば、
小さな、小さな、玉が、
勢いもなく、
忘れたころに、
ころり、と出てくる。
その感じを、毎回、
思い出します。
さて、
前おきが、長くなりましたが、
ところで、
きのうは、その、
「ころり」をしましたところ、
ハンコ大の、その入れ物が、カラになりました。
あ、
終わったな、
新しいチューブを、出しましょう、と
思いながら、
寝起きの、メガネもない目で、
カラのチューブを、
あっちの方にある、くずかご目がけて、
投げます。
スコーン、と
落ちたので、
(メガネがないので、よく見えませんが)
その音からいいますと、
命中!したようです。
その気持ちのいいこと!
やった〜、といいながら、
いい気分で、起き上がりました。
これは、
私のクセです。
くずかごに何かを入れるときは、
だいたい、ちょっとうしろにさがって、
投げ入れます。
はずれたら、やり直します。
もう、何年も、ずっとやっていますので、
少しは、腕があがって、
ますます、おもしろくなります。
腕があがっても、
何の役にもたちませんし、
これで、賞をもらえるとか、
お金がかせげるということはないかと、
考えたこともありますが、
それは、ないです。
おもしろいだけです。
命中するときの、
スカーッとする感じが、
とても、やみつきになります。
きのうも、
なにか、その余韻でか、
一日、いい気分ですごしました。
それでは、みなさん、
お元気でおすごしください。
きょうも、
読んでくださって、どうもありがとうございました。
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2020年5月12日火曜日
雲ゆき、あやしい
フランスでは、
5月11日から、ロックダウン解除となりました。
これで、
安全な世界は、おわりです。
これから、外へ出て、
自分で、自分の身を、まもらなくては、
いけません。
私のつとめる音楽院では、
まだ、オンラインレッスンを続けています。
でも、
小学校や、
お店、
工場、
など、少しずつ、活動がはじまりました。
私は、
はっきり言うと、
心配です。
東京で育った私は、
駅や電車で、やたらに手すりにさわらない、とか、
カゼのはやる時にすること、とか、
小さい時から、
そういう教育をうけていますので、
ここフランス人の方々を見ていて、
その、おっとりさに、
イライラします。
マスクをつけることを、勧めない、
フランス政府にも、
文句を言いたいです。
フランスの、お医者さん、科学者の方々は、
声をそろえて、
マスクをしろ、と言っています。
ですが、
数ヶ月前に、
政府は、「マスクなんか、しなくたっていいさ」、と
言ってしまったのです。
たぶん、そのときは、
色々な理由があったのだと思います。
でも、
この期におよんで、
まだ、それを言いはっているのです。
どうも、
ひっこみがつかなくなっちゃったみたいです。
まるで、
子どものケンカみたいで、
なんとなく、
かわいらしくも思えます。
(私も、こういうことは、あります)
が、こればかりは、
命にかかわるのです。
意地っ張りなんか、
どうでもいいから、
早く、国民を救ってほしいです。
外へ出る、みんながみんな、
マスクをすれば、
他人を守れるのに。
ぜんぶの他人を守れるということは、
自分も、守られる、ということです。
ちっぽけな、
完ぺきではない、手作りマスクだって、
いいのに。
と、
私が、こうして日本語で書いても、
しかたない。
フランスの人に、知ってほしいのです。
あぁ、もどかしい。
別の場所で、
そういう内容のメッセージを、
発信したこともありますが、
日本の方々から、
「そのとおり」と、反応をいただくだけです。
フランスの方々に、
メッセージは、伝わってるかしら。
フランスの新聞にも、
メッセージを、送ってみたのですが。
もっとも、
マスクをしているフランスの方も、
けっこう、いらっしゃる。
それは、うれしいことです。
どんどん、増えてほしいです。
ロックダウン中には、
毎日、お天気がよかったのですが、
解除されたと思ったら、
とたんに、くずれました。
風は強いですし、
雨もふります。
それに、
毛糸のセーターを着るほど、
寒くなりました。
夫が、
それもそのはず、
5月11〜13日は、
Saints de glace 「氷の聖人」だと言います。
毎年、
寒くなるのだそうです。
ほんとうに、そうです!
つい、ちょっと前まで、
あんなに、あたたかかったのに。
それでは、
私は、ひきつづき、
家で、いろいろ仕事を続けようかと思います。
みなさま、
どうぞ、お大事におすごしください。
読んでくださって、ありがとうございました。
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2020年5月8日金曜日
お客さんは、もう帰った
うちに、
ルージュクという小鳥が、
しばし来てくれたことは、
お話しました。
また、もどってくるのでは、
と言ってくださった方も、ありました。
それが、
まさに、あたっていました。
次の日、
夫が、「いる!」と言うのです。
えええっ?
カメラをつかんで、
外へ出れば、
ツバキの木の下に、います。
こっちを見ています。
ほんとです、あの、小鳥ちゃんです。
うれしい。
ちょこまか、
土をつっついては、食べたりします。
カメラを向けると、
気に入らないのか、
木の上にのぼって、見ています。
あぁ、元気そうで、なにより。
君、もう、大丈夫ね。
それにしても、
家族が、むかえに来てたみたいのに、
一緒に、行かなかったの?
もしかすると、
ここに、住むのかもしれない、と
思ったのですが。
結論をいいますと、
2日、ここにいましたが、
きょうは、
もう、見あたりません。
お客さんが、帰ってしまったような、
がらんとした、気持ちがします。
また、戻っているかもしれない、と
外へ出るたび、さがしてしまいます。
その2日間は、
この小鳥と、一緒に、
私は、庭で、ぶらぶらしたりしました。
まだ、高くは飛ばずに、
だいたい、地べたをはね回っていました。
私は、
「もち」という名をつけて、
呼びました。
ポチという犬の名がありますが、
「もち」は、おもちのように、
上あがりに、発音します。
すると、
「ち」と言う時に、
なんとなく、鳥の声と似ていて、
あちらも、きょとんと、します。
「もち」、といいながら、そばに行くと、
きょとんと、見ていて、
ちょんちょん、と、
2、3歩は、こちらによってきます。
かわいらしいことです。
でも、まぁ、
1メートルくらいのところが、
限度です。
あっちに、行ってしまいます。
もしかすると、
ここに住んでくれて、
こうして、話(?)ができるかもしれない、と、
楽しみにしたりしました。
でも、
元気よく、旅立って行ったようです。
うれしいのと、
さびしいのと、半々。
ところで、みなさん、
この鳥をご存知かどうか。
日本では、見たことがなかったですが、
このあたりでは、
春、夏になると、よく見られます。
ルージュク=「赤いしっぽ」という名です。
その、おもしろいのは、
鳴き声です。
すごく、めずらしい鳴き声です。
ぴよぴよ、と、まず鳴いてから、
そのあとに、最後に、
紙をくしゃくしゃに丸めるときの、音が、するのです。
つまり、
「ぴよぴよ、ぴよぴよ、ぴよぴよ。くしゃくしゃ」と、なります。
そんな不思議な鳴き声を、
知りませんでしたので、
私はさいしょ、
だれかが、遠くで、
紙を丸める仕事をしているのだ、と思っていました。
「くしゃくしゃ」なんて!
「もち」は、
まだ、子どもですので、
そんなふうには、鳴きません。
音は、しません。
もしかすると、
いつか、
また、「くしゃくしゃ」ができるころになったら、
ここへ、遊びにくるかもしれません。
だと、いいなあ。
でも、そのころには、
大人になって、みちがえてしまうはずです。
「もち」なのか、
ふつうの、ルージュクなのか、
区別がつかないはずです。
でも、
もしかすると、
私を見て、きょとん、とするかもしれません。
そうしたら、
「ああ、『もち』かもしれないな」と、
思うでしょう。
などと、
ロックダウンで、
ヒマがすぎて、色々なひとりごとを、
頭の中で、おこないました。
このロックダウンも、あと2日で、
終わります。
解除、うまく、いきますように。
みなさんも、お元気で、お大事におすごしください。
読んでくださり、ありがとうございました。
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2020年5月5日火曜日
思ったより、賢い
きのう、
いつもの朝の散歩は、
とちゅうで、やめになりました。
Uターンして、家にもどりました。
ロワール川には、まだ着かないころ。
小物屋さんの、ウインドーの下に、
外側に、
小物が、ある。
ウインドーから、はみでたのかと、
近くによって、見ます。
小鳥の置物があるのだと、思いました。
ちっとも、動きません。
でも、よく見ると、
ほんとうの、生き物の小鳥です。
おやおや。
春には、よく、
小鳥のこどもが、
地べたに落ちていたりします。
今まで、ひろっては、
家に連れて帰って、世話をしても、
たいていは、
うまくいきません。
という、経験があるので、
家に連れて帰るのも、
あまり気がすすみません。
が、
やっぱり、手にとってみます。
すると、
ちっとも、もがいたりしません。
あぁ、それほど、弱っているのかしら。
だめかしら。
大きな目で、じーっと見ています。
たまに、ぱちくりします。
よく見ると、
まつげがあって、
羽は、とってもステキに模様が描いてあって、
なんてよくできてるんだろうと、
感心します。
生まれたての娘の、指と爪をみて、
小さいのに、なんんてよくできてる!と
びっくり、見とれたのを思い出します。
とはいうものの、
私の頭の中のダイアログとは、
ぜんぜん関係なく、
私の手は、小鳥ちゃんを抱いて、
足は、Uターンをして、
家の方に、向かってしまいます。
きょうは、散歩の量が、少なくなりますが、
かまいません。
ロワール川を見て、リフレッシュするつもりでしたが、
そんなこと、どうでもよくなります。
手の中、
小鳥ちゃんは、もがくこともなく、
すっかり、安心したように、
抱かれています。
力がないのかな、
あぁ、だめかな、と、
足が、はやまります。
ときどき、
目をつむったりします。
これは、まずい。
それにしても、
このあったかい体。
このエネルギーは、どこからくるんでしょう。
いつか、エネルギー切れになってしまうのかしら。
その前に、
何とか、栄養補給せねば。
家に着き、
どこに置くか、箱をさがします。
いいのが、ない。
しかたない、
巣を作りましょう。
枯れ葉と、やわらかい枯れ草を集めて、
いい具合に、お皿の形を作ります。
そこに小鳥をのせて、
守るために、
大きなふるいを、かぶせるのです。
ちょっとした、鳥かご風になります。
さて、と、
枯れ草にのせようとしたとき、
かすかに、小鳥ちゃんの足が、
私の手に、しがみつきます!
はなさないで、と言ってるみたいです。
あらら、
私の手の中に、ずっといたいのかしら。
かわいらしい。
昔、
子どもを、ナースのうちに預ける時、
子どもが、私にしがみついたことを、
思い出します。
さて、
砂糖水は、あまり、人気がありません。
しかたなしに、
口ばしをぱくぱく、していただけです。
これは、もうだめかもしれない、と
私は、
また大きなふるいをかぶせて、他のことをしていました。
時々見ると、
疲れたのか、目をつむったり。
逃げ口も、作っておきましたので、
万が一、元気になったら、
外へ出られることになっています。
そして、
夕方ごろには、
即席に作ったその巣は、
空っぽになっていました。
あぁ、よかった。
少し、さびしいですが、
そこで元気がなくなるより、ましです。
自力で、外へ出られたのだと思いました。
そこいらをさがしても、
小鳥ちゃんは、いませんでしたから、
きっと、
飛べたのだと思います。
よかった、よかった。
そして、
夕ご飯のあとのことです。
洗い物をしていましたら、
外から、何やら、鳥の声がたくさんしますので、
夫に、
見に行ってもらいます。
「まさか、さっきの小鳥ちゃんじゃないでしょね」
それが!
夫が言うには、
この鳥は、ルージュクの子どもだけれども、
大人のルージュクが、むこうの高い所から、
何やらかんやら、大きな声で、
言ってる、というのです。
迷子ちゃんをさがしに来たんだ、と。
めんどう見てるにちがいない、と。
えーっ?
あんなに遠い所から、
探し当てたのかしら!
子どもを?
そして、
これが、一番びっくり、うれしかったのですが、
さっきの即席の巣のあったところを見ましたら、
その、小鳥ちゃんが、
残った枯れ草のところに、来ていたのです。
そして、
私の方を、見ていたのです!
大きなふるいは、
もう、かたづけましたが、
枯れ葉は、まだ残っていました。
そこに、
来ていたのです。
巣だと思って、
寝に来たのでしょうか。
でも、
そのあと、飛んで行ってしまいましたから、
もしかすると、
私に、さよならを言いにきたのかもしれない、
とも、思いました。
昔話とか、
子どもの童話を読みすぎてか、
そういう解釈になってしまいましたが、
もしかすると、
そういうことも、
ありえるかもしれない、と、
思ったりしました。
きょうも、
読んでくださって、どうもありがとうございました。
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