2016年1月12日火曜日

さみしいという気持ち

きのうは、
デビッドボウイさんが旅立った、ということを知りました。

私は高校生のころ、「ヒーローズ」を聴いて、
熱狂的なファンになっていました。
でもそれ以来、あまり聴いていません。
どちらかというと、昔の恩人という感じです。

さっそく、フランスのネット新聞、ルモンド紙には、
長い記事やビデオがのりました。
私は、なつかしい気分で、さよならを言うつもりで読んでいました。
そこで、数日前に出たばかりの新曲の動画も見ました。
(歌の内容もわからずに、です)

ところが、
それが、とても悲しかったです。

その動画というのは、ボウイさんが病院でわずらっていたり、
お棺に入っていくふり、という設定でした。
おお、ボウイさん。
病気だったのに、
最後のさいごまで、
自分の人生そのものを使って仕事したんですね。
すごいですね、おどろきました。

そして、
病気になって、病院にいる自分を想像してしまいました。
ひとりで病気でいるということは、とてもさみしい。

そして、ボウイさんだけでなく、
私の知っている人、
亡くなってしまった人たち、
いろんな人たちのことを思い出してしまいました。
その人たちが、今ここにいない、ということは、
とてもさみしい。

夜寝る前、窓をあけてみると、
遠く、電車の通りすぎてゆく音がきこえました。
風が変わったようでした。
雨が降るしるしです。

ボウイさん、さようなら。
いってらっしゃい。


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