2020年5月18日月曜日

コロナウイルスの、おかげ


どうやら、
フランスの音楽院は、
9月まで、開かないことになるようです。

私は、その方が慎重でいいと、思います。
いっときは、ピアノや弦楽器なら、
リスクはないから、
レッスンをはじめても大丈夫だろう、と
考える人たちがいて、
私は、ハラハラしたこともありました。

オンラインレッスンで、
このまま、続けることになり、
私は、ホッとしています。

ロックダウンを解除して、
一週間たちました。
知人友人が、ぱらぱらと、
たずねて来たりします。
このあたりの人たちは、
思ったとおり、おっとりしてらっしゃいます。

私は、どちらかというと、
外へ出るときなど、
慎重に、マスクをしますし、
なるたけ外へ出ないでいます。
けれど、みなさん、
そんなに心配もせず、
ふつうに、立ち話をしたり。

思ったとおり!



そういえば、
私は、このあたりの方々の、
なんとなく、ゆったり、おっとりした、
その温暖なキャラクターが好きで、
この地に、住むことになったのかもしれません。

もうあの世へ行ってしまった、
ある、マダムの声がきこえます。

「そ〜んなに急いで、どこへ行くんです。
あの世へいく時間は、たっぷりありますよ」

大きなからだを、ゆさゆささせて、
よく澄んだ、いい声で、
今、このウイルスのさわぎについて、
彼女なら、
何て、言うかしら。

「ぽっ、ぽっ、ぽっ。
人は、何かしらが原因で死ぬんですから。
(だから、ウイルスだって、まあ、そのひとつ)」

と、
笑って、
大して、気にもせず、
手を洗う、とか、
握手をしない、という新しいきまりを、
「あらまあ、そうしなくちゃね」と、
おこなう、という気がします。
ここ、ロワール地方の発音が、
きこえます。

彼女の、そのおっとりさには、
ずいぶん、助けられたことがあるのです。
今、思いかえして、
とても、そう、思います。

今の、若い方々も、
だいたい、
みなさん、こうして気楽にしてらっしゃる。



私は、長い時間、
ピアノの前で時をすごしてきましたので、
一人でいることには、慣れています。
それどころか、
一人でいるのも、好きです。

それよりも、
人の中にいて、話が通じなかったりする方が、
よほど、一人のみじめな気持ちがしますので、
このごろでは、
かなり、人や場所を、えらんでいます。

ですので、
このロックダウンは、
静かで、いい時間をすごせました。
これから、
9月まで、少し、退屈にも思えますが、
この
「一人」を楽しみたいと思っています。

本をたくさん読めましたし、
いつもは、人をはばかって食べない、
生タマネギのサラダや、
ニンニクも、たくさん食しましたし、
定年退職をしたら、
どんな生活になるか、思い浮かべましたし。


もちろん、
禁断になってしまっている、
大好きなことも、たくさんあります。

ダンス。
ヒップホップのクラス。
スポーツジムで、仲間と汗を流すこと。
レストランに行くこと。
海辺に行くこと。
旅をすること。

まぁ、しばらくは、しかたありません。



さて、
外からは、いろいろな音がきこえてきます。
職人さんたちの、声、
車の音、
しばらく聞こえなかった音です。
あぁ、フランスは、動き始めてるな、と
思います。

みなさん、
ゆったりと、
かつ、慎重に、じょうずに、
やっていかれますように。

読んでくださって、どうもありがとうございました。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Chiyoさん、こんにちは。

九月になればコロナの状況もだいぶ違ってよくなっているはず。
早急に対面でのレッスンが始まらず、良かったですね。

暮らしの中で、もう亡くなってしまった大切な人の事を、折に触れて
思い出す事ってありますね。
Chiyokoさんの書いておられた方も、きっと素敵な方だったのでしょう。
声、しぐさ、表情!

○○さんならこんな時、何ていうかしら? どうするかしら?と、
想像することにより、自分の中でその方がよみがえりますよね。

人は姿かたちは消えても、残った人々の中で生きているのだな、と思った
事でした。
素敵な事です! 
ロワール地方の言葉、って言うのがまた面白いです。
生き生きと写し出されて。
フランス語自体が、だいたいから分からないのですが(笑)。

人々の生活する音が、少しづつ日常にもどってきているのですね。
それは仕方のない事、必要な事なのでしょうが、おそるおそる、、の
気持ちでうまく移行できればいいですね。

今日もありがとうございました。

たま

Chiyo さんのコメント...


Blogger Chiyo さんは書きました...
たまさん、こんにちは。

おっしゃるとおり、
「くらしの中で、
もう亡くなってしまった大切な人の事を、
折に触れて思い出す事がある」
というのは、
まったく、そのとおりなのだなぁと、
あらためて、思いました。


「○○さんならこんな時、
何ていうかしら? 
どうするかしら?と、
想像する」
すると、
ほんとうに、
自分の中でその方がよみがえります!

私も、
あらためて、
このマダムのことを、思ったり、
大切なお宝を、
出してきて、ながめるような気持ちになりました。

形は消えても、マダムは、まだまだ、
じゅうぶんに、元気に、生きていました。
すごいですね。
話しかけてくれましたし。

いいお話を、ありがとうございました。