2017年2月17日金曜日

お年寄りの気持ちは、わかりにくい


先日は、市役所の窓ぎわで、
アネモネが、とてもきれいでした。
とても明るい日でしたので、青色がくっきり見えました。
なのに、けさは、一転して、霧!
窓からは、お向かいのお家だって、よく見えません。

ところで、
お風呂好きがたたったのか、
慣れない和風呂で、湯冷めしてしまったのか、
熱を出して、ちょっと寝こんでしまいました。
そういえば、このひと月は、
どこへ行っても、
カゼをひいた人が、いっぱいでした。
しょうがないといえば、しょうがないです。

久しぶりに、熱を出して、思います。
体の調子がよくて、スタスタと歩けるっていうのは、
なんていいことだろう!と。

そんなこと、何度も経験しているはずなのに、
私はすぐ忘れてしまうのです。
スタスタ歩けることのありがたさも、
すぐ、忘れてしまいます。

もう、だいぶよくなりましたが、
関節が痛むというのは、つらいです。
ただ横になっているだけで、痛くて、つらくて、
「こんな人生、意味ないのではないか」なんて、
大げさなことを思い始めてしまいます。

そして、
思い出します。
今まで出会った、痛みを持った方たちのこと。
たいていは、お年寄りです。
もうちょっと、若い人だっていました。

そして、
あの時、そこまで、つらさをわかってやれなかったことを、
申し訳なく思います。
だからといって、どうすることもできなかったかもしれませんが、
きっと私は、冷たかったのではないか、と思います。


きのう、だいぶ具合がよくなったので、
起き上がって、ちょっと歩いたところ。

あ、この歩き方は、リュリュおばあちゃんのだ!と
すぐにわかってしまいました。

その歩き方は、
鏡を見なくても、わかります。
ペンギンのように、手は、うしろの方に。
お腹をかばうように、体は「く」の字に折れてます。
それは、腰が痛いからなのです。

リュリュおばあちゃんというのは、
夫の祖母です。
もうこの世にはいないです。
でも、けっこうお年になるまで、元気で、
私たちを歓迎してくれました。
長い時間かけて、お料理を作ってくれたり。

そして、今、私はやっと気づきます。
いくらお元気でも、この歩き方をしていたということは、
たぶん腰が痛かったということです。
そこまで、わかってやれなかったことを、
ちょっと、申し訳なく思います。
もうちょっと、いたわればよかった、と思います。

私のまわりには、グチをこぼさないお年寄りが多いです。
お年寄りにかぎらず、若い人でも。
グチをこぼしたら迷惑になる、と
思ってらっしゃるのかもしれません。
ポンコツに見えたくない、という誇りの気持ちもあるかもしれません。

でも、ひょっとすると、
ひそかに抱えた、痛み、つらさがあるのかもしれない、
私には、なかなかわからないなぁ、
ゴメンね、
という気持ちになりました。

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