きょうは、外は雨と風。
こんな日は、
部屋にいるのが一番、と思ってしまいます。
ところで、
お風呂の工事のあいだ、2ヶ月くらいは、
別な部屋で、寝起きしていました。
必要なものだけ、紙袋に入れて、
別な部屋に移ると、
まるで、旅に出たような気分になりました。
別に、その部屋がホテルのようにステキというわけではありません。
ただ、ゴチャゴチャしたものがない、
というだけです。
気分は、すっきり、さっぱり!
たったそれだけのことで、豪華な感じです。
見るもの、感じるものが、
すべて新鮮に思えます。
ところが、
案の定。
そういう気分は、だんだん消えていきました。
どこからともなく、モノがわいてくるのです。
メモした紙、
読みかけの本、
ボタン、
書類など、
あとでやろう、と思った事の「モノ」たち、
そして、
何、とはっきり説明のしようのないモノ、
今、はっきり思い出せないようなモノたちが、
だんだんと、つもってきます。
2ヶ月もたつと、
また、その部屋は、いつものとおり、
「日常」におおわれて、
新鮮さも何もない、退屈な、
ただの、掃除すべき部屋、にもどってしまいます。
あまりにも、その差は、ひどかったです。
いったいどうしてそういう事になるのか、
ちょっと考えてみると。
だいたいの原因は、
どうやら、2つ目の、
その、何、とはっきり言えないようなモノたちで、
箱、とか、
ステキな包装紙、とか、
雑誌の切り抜き、とか、
紐、とか、
いただいた手紙、カード、とか、
おみやげ、とか、
ひろった石ころとか、
ありがたいとか、ステキと思ったものばかりです。
ちょっと捨てられないものばかりです。
でも、今、すぐには必要のないもの。
ムダなものばかりなのかもしれません。
私は、モノを大切にしましょう、と育てられました。
でも、
今は、モノが豊富です。
そんなに大切にしなくても、平気なはずです。
実際、娘たちを見ていると、
必要のないものは、かんたんに捨てていますし、
たとえば旅先で、もし小型石けんなどがサービスされても、
あまり持って帰りません。
だから、
昭和30年代生まれの私は、
モノをなかなか捨てられないのかもしれません。
あとで役に立つかもしれない、と思って、
とっておいてしまうのです。
工事は終わり、
また、いつもの部屋にもどってきました。
ホコリでかわいてしまった床には、ワックスをぬりました。
新鮮さたっぷりの、すっきりした部屋になりました。
旅に出たような、新鮮な気持ちになります。
そこへ、
必要品+がらくたを、また紙袋に入れて、もどってきて、
「あぁ、今回こそ、
このすっきり感を、保てたら!」
と、思うのですが。
でも、
私の心は言います。
ムダをまったくなくして生きて行けるかしら、と。
「もったいない」は、セコいけど、
「ムダ」はぜいたくのひとつ、と言います。
うーん、
だから、いつまでたっても、
がらくたは、私をおそうのです。
この、もったいない、ムダそうでムダではない、がらくたたち。
すっきりと、どこかへ収まってほしいです。
どなたか、何か解決法があったら、
ぜひ、教えていただきたいです。
きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。
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