2018年9月24日月曜日

ちょっとがっかりの、キンモクセイ

さきほど、名前がわかりました!下に追加しました。
先日、
ふつうの民家のあるあたりを歩いていましたら、
とてもいい香りがしてきました。
女性の香水に似ていますが、
その、さっぱりした高貴さは、
ちょっと人工のものとは、思えません。

鼻をクンクンさせながら、
へいからとびだしている草木を、じろじろ見ます。
すると、
まさか、と思うようなジミな木が、
その香りの主、ということがわかりました。

日本では、
私はキンモクセイが、大好きです。
そのキンモクセイの色違い、といいたくなるような、
色柄です。
銀モクセイと言いたいです。

写真にとって、
家で調べてみましたが、
見つかりません。
銀モクセイでは、ありませんでした。
草木にくわしい人に、たずねてみようと思います。



ものすごく、
はれやかな気持ちになる香りです。
まるで、
研究に研究をかさねて、できあがった香水のようです。
それが、
こんなに、何げない姿の花の、なのです。

だれも、この花のことで、
さわぐ人もいません。
これをマネした香水も、ないかもしれません。
「ああ、○○の季節になったねぇ」
なんていう声も、きいたことありません。

実を言いますと、
いつか、千葉の鵜原海岸というところに行ったとき、
やはり、こんな花を見たのです。
たぶん、それと同じです。
その時、たしか名を調べて、わかったはずなのに、
どうも、思い出せません。

そして、
たぶん、そのとき、
そこいらに落ちていた、小さな実を、ひろってきたのです。
私は、種をとっては、
それをまいて、はやすのが好きです。
今年、ためてあった種を、なんだかわからずに、
いっぺんに、まきました。
そのせいか、
この、ジミな木も、はえてきたような気がするのです。

もしかすると、
この夏はえてきた、あの小さな木は、
この名のわからない木の、「子ども」かもしれない。



キンモクセイといえば、
大きな声ではいえませんが、
去年、日本から苗を持って帰ったのです。
それが、ずいぶん元気に、大きくなりました。
そして、先週、花が咲きました。
楽しみにしていた花です。
ですが、
ちょっぴり、がっかりしたことがあります。

東京では、
秋のはじめに、雨などふって、
あのキンモクセイの花がこぼれ、道路にオレンジの淡い色をだすと、
とても、ステキな香りになります。
薄ら寒くて、秋の寂しい気持ちがあったりしても、
なんだか、すこし、楽しくなるような香りです。

それが、
ここロワール地方の、夏の終わりの、カラッとした空気に、
キンモクセイの香りがしますと、
ちょっと、ちがう種類のようにも思えます。
人工の、アプリコットの香料のようです。

いっしょうけんめい、
水をかけて、
湿り気をだしてみましたが、
日本の秋のふんいきとは、
ちょっと、ほど遠い感じでした。


その点、
オシロイバナは、
とてもいい香りです。
夕方、とくに。
なつかしい、日本の夏を、思い出します。

これも、種をどこかからいただいてきたものです。
でも、
オシロイバナは、フランスにもありますから、
これは、日本のだったか、フランスのだったか、
わからなくなりました。




きのうは、秋分。
ずいぶん涼しくなりました。
けさは、厚手のセーターを着ました。
みなさまも、
季節の変わりめ、お体大切になさってください。

読んでくださって、どうもありがとうございました。

追記

草木にくわしい方が、さっそく教えてくださいました。
よび名は、Chalef de Ebbing
学名 Eléagnus ebbingéi 
ヤナギバグミの一種ということです。

説明をみますと、
ジャスミンの香り、とあります。
私は、ユリの香りに似ていると思っていましたが、
たしかに、ジャスミンの香りにも似ています。
それより、やや甘い感じがします。



Arbuste épineux de 2-3 m de haut, capable d'atteindre 6 m, sur 2 de large.
Feuillage coriace, persistant, vert foncé à reflets gris sur le dessus, au revers argenté, de 5 à 10 cm de long.
Fleurs en clochettes crème, au parfum de jasmin, en septembre-octobre, mellifères.
Fruits rouges comestibles en fin d'hiver.
Obtention hollandaise très courante : hybride entre Elaeagnus macrophylla et pungens.
Croissance rapide.
Tolère toutes les expositions, les embruns.
Craint les fortes gelées à l'état jeune. Résiste à -20 °C.
Plante de haie facile, idéale en bord de mer, en isolé, en topiaire, palissée…

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2018年9月21日金曜日

ストレスフルな新学期



この夏は、
広くて大きい海を見てきました。
何もない、人も少ない、バカンスでした。
そのせいか、9月の新学期は、
ことさら、ごちゃごちゃした感じがしました。

仕事のことで、話し合う、というのが、
とても、まどろっこしく思います。
心のすみでは、

「船の上だったら、
こんなの、さささっと、話が通じて、
一分くらいで解決してしまうのになぁ」

と、思ってしまいます。

また、船の話にもどりますが、
船の上では、
あまりダラダラと話をしません。
雑談をしている時は、別として、
なんでもが、
一回言えば、それで、すみます。
そして、解決法があれば、
10分後には、もう、そのとおりになっています。
いつ沈むか、わからないような所にいると、
そういうふうに、なるのだそうです。

船の切符を買うときだって、
そうです。
電話でも、メールでも、
短いです。
でも、要は得ています。
はじめのうちは、なんとなく冷たい感じがします。
でも、
ちゃんと話は通じているのです。
たぶん、気持ちだって、通じていることが多い。

私は、
仕事は、そういう方が、いいのです。



会議で、みなさんが、話をしているのを見ていると、
実に、長い説明があります。
だらだらしているように、私には、見えます。
そして、関係ないことや、
おせっかいなことを質問してくる人もいます。

すると私は、
まじめに、それに答えてしまうこともあります。
あとで、

「あぁ、あんな関係ないこと。
なんとか、ムシできなかったのかしら」

と、後悔します。
答えたからといって、
別に損をしたわけでもありませんが、
家に帰ってきてから、

あれは、どういう意味で言ったのかしら、
なんだか、ヒナンされてるような気もするし、などと、
考えが頭の中に残ってしまいます。

この次からは、
なんとかスルーしたいものだ、と
思います。



ところで、
先日、オランダに行ってきました。
昔、お世話になった方々に、
しばらくぶりに会えました。

オランダは、家並みがステキです。
茅葺きだったり、
窓が、とてつもなく大きかったり。
なんとなく、昭和の、日本の家とも似ているように、
思います。
親しみを、もってしまいます。

友人の息子さんが、
亡くなったおとうさんと、そっくりになっていました。
白髪になって、
お腹も、貫禄でした。

私は、その、亡くなったおとうさんのことが、
大好きでしたので、
とても、うれしく思いました。
なんだか、今も、そこにいてくれるような、
そんな感じでした。
そうか、命はほろびないのかもしれない、と
思ってしまいました。



私の好物の、ニシンをたっぷり、いただきました。
それから、おみやげに、
お庭のスズランを、いただきました。
それを掘るときのスコップを見て、
私は、
「あ」と思いました。

小さいときに見た、
ブルーナのうさこちゃんです。
「うさこちゃんとうみ」
スコップの柄が、
日本人の私には、ふしぎな形をしていました。
それと、同じでした。


きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。

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2018年9月5日水曜日

いつもいい天気とはかぎらない(貨物船の旅)


きょうは、船酔いについて、書きます。

実は、
私は、はじめ、それが心配でした。
ですので、
2年前、はじめて船に乗ったときは、
もしアウトなら、すぐおりられるように、と、
しょっちゅう寄港するルートをえらびました。

結果は、
だいじょうぶでした。
むしろ、
ゆらゆらと、ゆられているのが心地よく、
眠るにも、ちょうどいい、という感想でした。
もう少し、荒れた海をみてみたい、などと、
おそれおおいことを、考えたりしました。

今年乗った船は、
フロリダ号といいますが、
300メートルと、長いわりに、
幅が30メートルちょっと、という細長い船でした。
ということは、縮小してみれば、
30センチの、ものさしのような格好に、なります。
実に細い感じです。

そのせいでか、
横ゆれが、多い船でした。

横ゆれは、ローリングといいます。
たまに、
あ、ローリングがきたきた、と、
私は、心の中で、様子を見まもります。

ローリングの中で、
ピンポンをやりたいとも、ふだんから思っていましたので、
それが実現したときは、
ちょっと、得意な気持ちになりました。

私は、もともとピンポンがへたですから、
いったい、それは、
腕があがったのか、
ローリングのせいでミスをしたのか、
ローリングのせいで、よく打ててしまったのか、
区別がよくつきません。
なかなか、できない、めずらしい体験です。


ある朝、
のんきに起きますと、
なんだか、ゆれが、激しいようです。
夫は、もうずっと前から起きていて、
一番上の、ブリッジ(操舵室)で様子をみていたそうです。

その話によれば、明け方は、
ものすごい荒れだったそうです。
船乗りさんたちも、ずいぶん、
のぼってきては、様子を見に来たそうです。
船酔いにかかってしまった人もいるとのこと。

なるほど、
朝ごはんにおりますと、
だれもいません。
私は、どうしてもごはんを食べとかなきゃ、と思ったのです。
こういうとき、
おなかが空っぽ、というのは、よくないということです。

お勝手をのぞくと、給仕さんは、
大きなため息をついて、
身ぶるいしてから、
ごはんを運んできてくれました。
なんだか、具合よくないみたいです。

プロの船乗りさんでも、船酔いはするのです。
そういう時に、おさんどんをするのは、
ずいぶん、つらいだろうと思います。



↑ (今でも、こういう写真をみつめていると、だんだん
ナマツバがでてきて、船酔いしそうになります)

私は、持ってきた梅干しと、
お水を飲み、
絵を描いて、集中していれば、
気も散るかもしれないと、なんとなく、すごしていました。

お昼は、テーブルについたとき、
給仕さんが、
おなかのあたりを、さすりながら、
「マーム、大丈夫ですか?」
と、心配してくれます。

「ええ、大丈夫です、
でも、お肉は、半分にしときます」

そういえば、
あまり食欲ありません。

午後になっても、
ゆれは、続きます。
はじめは、なんだか、ゆかい、なんて思っていましたが、
だんだん、
腰がつかれてきます。
すわっていても、
前、うしろ、前、うしろ、という運動を、
つづけているのです。

だんだん、絵の具をまぜるのも、
むずかしくなってきます。
筆だって、あてずっぽうのほうに、いっちゃいます。

さすがに、梅干しを食べても、
気分がすっきりしなくなってきます。
しかたなく、ベッドに横になる。
すると、ずいぶんラクになって、
そういえば、
さっきの、階段をのぼるときは、
すごかったなぁ、と思い出したりします。
足をあげなくても、足がかってに、のぼってしまう。
船のゆれが、からだを、グインと、
押し上げてくれちゃうのです。

私は横になって、
目をつぶっていられますが、
お仕事の人たちは、
大変だろうな、と思います。
じっと、一点をみつめたり、
本を読もうとすると、
とたんに、気分がワルくなります。




荒海を見てみたい、なんていう気持ちは、
もう、どこかへ消えてしまいます。
もう、いいかげんに、もとの海にもどっておくれ、と
言いたくなります。

さいわい、午後のおわりには、
少しずつ、おさまってくる気配でしたので、
ピンポンをしに行きました。
だいたい、夕方には、スポーツジムに行くことが多いです。
まだまだ、ローリングも、
また、ピッチング(たてゆれ)もあります。
こうなると、複雑です。
玉も、あさって、しあさっての方に、いきます。

それを追っているうちに、
なんとなく、気分もふつうに戻りました。
夕ごはんは、すっきり、いただけました。

船長さんに、
ピンポンをしたら、
よくなかった気分が、なおってしまいました、と、
伝えますと、笑って、
「そう、そういうこと、よくあります」とおっしゃってました。



船乗りさんに、
ゆれとか、船酔いのことをきいても、
およそ、
かゆいところに手の届く答えは、ありません。

たとえば、このゆれ、
これは、「荒れた海」のはんちゅうに入るんですか?
ときけば、
「なぁに、こんなの、
ちゃらちゃらですよ(a piece of cake!)」とか、

酔うことは、ありますか、とたずねても、
答えはなく、
「機関部の、だれそれは、ものすごく酔う。
かわいそうなくらい」とか。

でも、
機関部の、当の本人と話しても、
そんな話は、きかれません。
「ゆれるときは、仕事に集中してると、
すぐ、なんとかなる」と言ってらっしゃる。

私は、思います。
船乗りさんだって、人間だから、
やっぱり、酔うのだろうと思います。
でも、
「はい、ぼくは、船酔いします」と、
言わないところが、
なんだか、とってもカッコいい、と
私は思います。

さて、
私は、よく、ブリッジにのぼって、
海図(チャート)を見せてもらいました。
今、自分はどこにいるのか。
海の深さは、どのくらいなのか。
ええっ、5000m?
いったいどんな動物がいるのだろう、などなど。

そして、世界地図もながめて、
船乗りさんたちに、
どこの海で、どういう季節に、海が荒れるのかも、
教えてもらったりしました。
実は、この先、いつになるかわかりませんが、
フランスから日本の方に、船でいってみようと計画しています。

日本のそばには、
荒れる海が、多いようです。


ところで、
私は、お茶が好きです。
旅行には、かならず、湯沸かしや、マグカップを持っていきます。
船では、食事が中華でしたので、
食後にお茶が出るかと思っていましたら、
出ません。
みなさん、お茶を飲まれないのかしら、と、
ふしぎに思っていましたところ、

しばらくして、
みなさん、キャビンで、
本格的に、お茶を入れてらっしゃるということが、
わかりました。
そして、
私たちにも、とてもおいしいお茶をひとつかみ、くださったりしました。
ブリッジ(操舵室)にのぼれば、
必ずお茶をいれてくださる士官さんもありました。
とびっきりおいしい、紅茶です。

それが、一杯ではなくて、
かならず、2杯!
できたら、3杯入れてくれそうになります。
それが、なんだか、
なるべく、長いこと、ここにいてください、
と言ってくださってるような気が、
私は、します。

船長さんは、ブリッジにのぼると、
大きなガラスのコップに、
緑茶をたっぷり入れて、お湯を注ぐ。
そうして、しばらくほっておくと、
だんだん、葉っぱがひらいてきます。
すきとおったコップに、それがよく見えます。
とても、きれいです。
そういうお茶を、飲んでらっしゃいました。
印象的でした。

きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。

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2018年9月3日月曜日

目の錯覚(貨物船の旅)


↑ (夕食後のひととき。ライトが気になって、調節をはじめる士官さん。その姿が、なんとも優雅です)


きのうは、
貨物船から見える、星空のことを書きました。

空といえば、
一番つまらないのが、

1)午後の、雲一つない青い空と、
2)霧がかかって、数メートル先も見えないとき、

です。

1)は、
ただ、ひたすら、じりじりと、
お日さまに、焼かれますし、
まぶしくて、目の奥がやられそうになります。
景色も、はっきり、すっぱりとしていて、
なんのミステリーも、
奥ゆかしさもありません。

でも、
たとえば、飛び魚が見える、とか、
くじら、イルカのたぐいが、見える、などの
特典があるので、
次の2)よりは、ぜんぜん、いいです。

2)は、
天気がよくても、霧にまとわれることもあります。
そういうときは、
まるで、明るい綿あめに包まれたようです。
すぐその先には、お日さまがあるとわかっているのです。
ですが、
見えるのは、自分の乗っている建物と、
ぼやっとした、霧だけ。
これだったら、
遊園地の船に乗ってたって、
同じことです。

ヨーロッパを出て、
いざ、大西洋に、とふみだした時、
ちょっと、そういう天気がつづいたのです。
そのときは、ちょっぴり、焦りました。
士官さんにきいても、
天気のことだけは、わかるわけはなく、
偉い船長さんだって、天気を決めるわけにいきません。
しかたなく、あるとき、

「アメリカまで、毎日こんな調子だったら、
どうしよう」と、
ためしに、言ってみました。

どういう答えがかえってくるかと、
内心、はらはらしていると、

「いや、そんなことは、ないですよ。
ありえない」

という答えでした。
ほっとしました。
そして、それは、ほんとうでした。


話がそれましたが、

古い港、アントワープを出たときのことを書きます。
出港は、ま夜中の予定でしたので、
いったん、ちょっと眠ってから、めざましで、
起きました。

それが、なんとも、きれいなのです。
停泊中の船も、港も、あちこち、あかりがいっぱい!
クリスマスのイルミネーションのようです。

写真なら、ここにいくつかありますが、
そこにはあらわせない、重要なこと、というのがあります。
それは、
そのきれいな景色が「ゆっくり動いていく」ということです。
その楽しさ、といったら!

電車や、車の速さではありません。
びゅんびゅん動くのではないのです。
船から見る景色は、
それはそれは優雅に、ていねいに、
ゆっくりと、堂々と、うつりかわっていくのです。









あまりに、きれいなので、
私は、心の中で、はしゃいでしまいます。
双眼鏡をだしてきて、
そのきれいな光を見る。
なんて、きれいなんだろう、
もっともっと、近くで見てみたい、と。

すると、
なんのことはないのです。
それは、
ただのビルで、その非常階段のあかりだったり、
日中に見たら、つまらない、ただの倉庫だったり、
道路をてらす、ただの電球だったりします。

現実というのは、そんなものかな、と
がっかりします。
昼間に見たら、この、お祭りのようなふんいきは、
ないはずです。
パーティの次の日の、
なんだか、がっかりしたような、
そんなことを思い出してしまいます。



ということがわかったので、
双眼鏡は、やめて、
この古い、大きな港を行き交う、
たくさんの船や、
停泊中の船を見て、
眠いのもがまんして、見とれていました。

ところで、前回、星のことを書きました。
船から見る星は、すごい、ということです。
そのとき、

陸にもどったって、
昼間だって、
これほどの星は、いつもそこにあるのだな、と
思いました。

ひるま、
さっきの、1)の、
青くて、
プラスチックのような色をしている空には、
なにもないようですが、
実は、星がたくさん、いるはずです。
そのことを、
私は、すぐ忘れてしまいます。

つまり、
霧に包まれた、つまらない景色と同じで、
晴れの日だって、
私の目は、お日さまに目がくらんで、
星が見えなくなってる、ということになります。

あの大きく、深い星空は、
いつでも、どこにでも、
ある、ということです!



↑ 船の先頭の、しずかな場所です。

ところで、話はかわりますが、
飛行機とくらべて、船旅では、
時差ぼけは、ありませんでした。
そのゆったりさ、は、
私は、ラクでいいな、と思います。

船の上では、ゆっくり、ゆっくり、
時計の針を、おくらせていきます。
大西洋に出てからは、
ほぼ一日おきに、
夕食どき6時きっかりに、アナウンスがあります。
「シップスクロックは、今夜、1時間おくれます」

船じゅうの、掛け時計は、
電波だかどうかわかりませんが、
自動で、全部いっせいに変わります。
私は、ごはんの時間をのがすことがないように、と、
忘れずに、うでどけいを、なおします。

細かいことをいいますと、
ブリッジで見張りをしている士官さんたちは、
4時間おきで、交代です。
とくに夜中は、つらい仕事だと思います。
そのとき、
運悪く、4時間が5時間になっちゃう人が、
出るのではないかと、私は心配になってしまいました。

ですが、
そのことをたずねてみたら、
行きに5時間になった人は、
帰りに3時間になるので、だいじょうぶ、ということでした。
あぁ、よかった、と思いましたが、
私は、なんで、こういうよけいな心配をするのだろう、とも、
思いました。

アメリカに着いたときは、
疲れもなにもなく、
ゆったりと、ふつうに、新世界の陸を、ふみました。
飛行機の旅とくらべて、
これは、いい、と思います。

きょうは、このへんにします。

読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2018年9月1日土曜日

ちょっと、わかりにくい(貨物船の旅)



貨物船で旅をする、というと、
ご存知の方もありますが、
そうでない方もあります。
ですから、ちょっと説明が必要です。

すると、
たいていの方は、
ちょっぴり、心配の表情をなすって、

「で、その船の上では、
毎日、いったい何をして、すごすのでしょう?」
と、きかれます。

そうですね、
いろいろです。
ただ、ぼけっと、
空を見る。
海を見る。

お茶を飲む。
絵を描く。
ダンスのステップを練習する。
などなど。

でも、
たいていは、
そのへんで、私は説明をやめて、
ただ、笑います。

こんなに
「何もしなくていい」というのが、
ステキなことなのに、
どうして、それが、通じないのだろうと、
思います。
まぁ、だいたいは、
そういう会話の進展になりますので、
もう、慣れています。



船乗りさんの中にも、
どうしても理解できない、という方は、
多いです。
海が好きだから、この仕事をえらんだのだろうと、
思うのですが、
だったら、
私の船好きも、わかってもらえるかと思えば、
そうとは、かぎりません。

なんで、
19日間もかけて、
アメリカに行くんですか?

ええっ、
それで、マイアミには、
3泊しかしないんですか!
飛行機に乗って行けば、むこうで
もっと長いこと遊べるのに、と

びっくりされたりします。

2年前にも、
やさしいフィリッピンのコックさんが、

「この次は、
お金をためて、ぜひ客船に乗りなさい。
そうしたら、いろいろ楽しみがあるから。
お酒も飲めるし、
ダンスパーティもあるし。
こんどね。きっと」

と、
なぐさめ、励ましてくれたしりました。
ですが、私は、何千人も乗っている客船には、
ちっとも乗りたくないのです。
私は、
静かで、
2人しか客がいない、
実質的な、
この船が、大好きなのです。

それに、たぶん、
2人しかいないから、
こんなに、
ちやほやしていただけるのです!



もちろん、
船乗りさんだって、
もうちょっと話をすすめていくと、
海が大好きなのが、わかります。

たとえば、
船長さん。

あのステキな、
船首という場所の話をしていましたとき。

そうですね。としばらく考えて、

「あそこは、
夕暮れどきなんかに行くのが好きです。
とてもナイスです」

と、おっしゃってました。

あぁ、なるほど、
ロマンチックな時刻だなぁ、
あそこは、静かで、
風もなく、
ただ、静かに船が進んで行くのを感じられる場所だから、
なるほど、なるほど、
この方は、海の感動を知ってらっしゃる、と
私は、思ってしまいました。




若い船乗りさんなどは、
星を見るのを、とても楽しみにしています。
陸をはなれて見る、夜の空は、
すごいです。
そのすごさは、
圧倒的です。

私が星をさがしにいくのではなく、
星の方が、
アピールして、
必然的に、
そこに、ぞろぞろと、
ただ、ひたすら、いるのです。

これでもか、というくらい、
水平線のところまで、
べったり、星空が、ぬってある、
というふうに、見えるのです。

天の川などは、
白っぽく、
ほとんど、シミのように見えます。
ペンキをこぼしてしまった、という
感じです。

そんな星空が見えるというのは、
都会育ちの私にとっては、
びっくり、という言葉では、足りません。
圧倒される、というレベルです。

そして、それを見ながら、
自分の生活、人生を考えると、
なんだか、
とてもちっぽけというか、
小さい、小さい。
それにひきかえ、
この空の大きさ!
その深さ!

別に、ちょっとぐらい何かあっても、
いいじゃない、と思えます。
どうして、
人間は、戦ったりするんだろうな、とも、
思います。
これを見たら、
ちょっとは、気が変わるんじゃないか、と
思うくらいです。

夜中、
たまに目がさめて、
窓の外を見ると、星がベターっと見える。
あわてて
めがねをかけて、
窓をあける。

そんなことが、何度かありました。
一度は、
闇の中に、オレンジ色の光が見えるので、
これはいったい何か、
遠くで、船が燃えているのだろうか、と
ふしぎに思いましたら、

そうではなくて、
三日月が、ちょうど、のぼるところだったということが、
わかりました。

それが、黒い水面にオレンジ色に、うつっていました。
少しずつ、とんがりの月がのぼるのは、
実に、めずらしくて、
楽しい光景でした。
ですが、とうてい私のカメラでは、
写せるわけはないのです。
これを絵で描けたらいいのに、思いました。

などなど、
もう少し、話は続きます。
また、この続きを書きたいと思います。

きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。

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