2018年9月3日月曜日

目の錯覚(貨物船の旅)


↑ (夕食後のひととき。ライトが気になって、調節をはじめる士官さん。その姿が、なんとも優雅です)


きのうは、
貨物船から見える、星空のことを書きました。

空といえば、
一番つまらないのが、

1)午後の、雲一つない青い空と、
2)霧がかかって、数メートル先も見えないとき、

です。

1)は、
ただ、ひたすら、じりじりと、
お日さまに、焼かれますし、
まぶしくて、目の奥がやられそうになります。
景色も、はっきり、すっぱりとしていて、
なんのミステリーも、
奥ゆかしさもありません。

でも、
たとえば、飛び魚が見える、とか、
くじら、イルカのたぐいが、見える、などの
特典があるので、
次の2)よりは、ぜんぜん、いいです。

2)は、
天気がよくても、霧にまとわれることもあります。
そういうときは、
まるで、明るい綿あめに包まれたようです。
すぐその先には、お日さまがあるとわかっているのです。
ですが、
見えるのは、自分の乗っている建物と、
ぼやっとした、霧だけ。
これだったら、
遊園地の船に乗ってたって、
同じことです。

ヨーロッパを出て、
いざ、大西洋に、とふみだした時、
ちょっと、そういう天気がつづいたのです。
そのときは、ちょっぴり、焦りました。
士官さんにきいても、
天気のことだけは、わかるわけはなく、
偉い船長さんだって、天気を決めるわけにいきません。
しかたなく、あるとき、

「アメリカまで、毎日こんな調子だったら、
どうしよう」と、
ためしに、言ってみました。

どういう答えがかえってくるかと、
内心、はらはらしていると、

「いや、そんなことは、ないですよ。
ありえない」

という答えでした。
ほっとしました。
そして、それは、ほんとうでした。


話がそれましたが、

古い港、アントワープを出たときのことを書きます。
出港は、ま夜中の予定でしたので、
いったん、ちょっと眠ってから、めざましで、
起きました。

それが、なんとも、きれいなのです。
停泊中の船も、港も、あちこち、あかりがいっぱい!
クリスマスのイルミネーションのようです。

写真なら、ここにいくつかありますが、
そこにはあらわせない、重要なこと、というのがあります。
それは、
そのきれいな景色が「ゆっくり動いていく」ということです。
その楽しさ、といったら!

電車や、車の速さではありません。
びゅんびゅん動くのではないのです。
船から見る景色は、
それはそれは優雅に、ていねいに、
ゆっくりと、堂々と、うつりかわっていくのです。









あまりに、きれいなので、
私は、心の中で、はしゃいでしまいます。
双眼鏡をだしてきて、
そのきれいな光を見る。
なんて、きれいなんだろう、
もっともっと、近くで見てみたい、と。

すると、
なんのことはないのです。
それは、
ただのビルで、その非常階段のあかりだったり、
日中に見たら、つまらない、ただの倉庫だったり、
道路をてらす、ただの電球だったりします。

現実というのは、そんなものかな、と
がっかりします。
昼間に見たら、この、お祭りのようなふんいきは、
ないはずです。
パーティの次の日の、
なんだか、がっかりしたような、
そんなことを思い出してしまいます。



ということがわかったので、
双眼鏡は、やめて、
この古い、大きな港を行き交う、
たくさんの船や、
停泊中の船を見て、
眠いのもがまんして、見とれていました。

ところで、前回、星のことを書きました。
船から見る星は、すごい、ということです。
そのとき、

陸にもどったって、
昼間だって、
これほどの星は、いつもそこにあるのだな、と
思いました。

ひるま、
さっきの、1)の、
青くて、
プラスチックのような色をしている空には、
なにもないようですが、
実は、星がたくさん、いるはずです。
そのことを、
私は、すぐ忘れてしまいます。

つまり、
霧に包まれた、つまらない景色と同じで、
晴れの日だって、
私の目は、お日さまに目がくらんで、
星が見えなくなってる、ということになります。

あの大きく、深い星空は、
いつでも、どこにでも、
ある、ということです!



↑ 船の先頭の、しずかな場所です。

ところで、話はかわりますが、
飛行機とくらべて、船旅では、
時差ぼけは、ありませんでした。
そのゆったりさ、は、
私は、ラクでいいな、と思います。

船の上では、ゆっくり、ゆっくり、
時計の針を、おくらせていきます。
大西洋に出てからは、
ほぼ一日おきに、
夕食どき6時きっかりに、アナウンスがあります。
「シップスクロックは、今夜、1時間おくれます」

船じゅうの、掛け時計は、
電波だかどうかわかりませんが、
自動で、全部いっせいに変わります。
私は、ごはんの時間をのがすことがないように、と、
忘れずに、うでどけいを、なおします。

細かいことをいいますと、
ブリッジで見張りをしている士官さんたちは、
4時間おきで、交代です。
とくに夜中は、つらい仕事だと思います。
そのとき、
運悪く、4時間が5時間になっちゃう人が、
出るのではないかと、私は心配になってしまいました。

ですが、
そのことをたずねてみたら、
行きに5時間になった人は、
帰りに3時間になるので、だいじょうぶ、ということでした。
あぁ、よかった、と思いましたが、
私は、なんで、こういうよけいな心配をするのだろう、とも、
思いました。

アメリカに着いたときは、
疲れもなにもなく、
ゆったりと、ふつうに、新世界の陸を、ふみました。
飛行機の旅とくらべて、
これは、いい、と思います。

きょうは、このへんにします。

読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

chiyoさん、こんにちは。

今日も楽しく読ませていただきました。有難うございます。

アントワープの港を出港した時の、あかりの描写、息をのむ感じでした。
ゆっくり優雅に、移りゆく光に照らされた景色のさま、ため息がでました。
そして、それを双眼鏡で見ての、現実の失望感。
対比が面白いですね。

昼間の雲一つない青空の下では、夜間、あれほど感動させてくれた星々が
、そこにあるのに見えない!
そうですね、見ているようで見えていないもの。

雄大な自然のパワーには、圧倒させられますね。

表面上の物事に、右往左往させられて、本質が見えていない自分の姿をも
投影させられる感がありました。

そうそう、時差の調整の為か、船中の時計の時間が変わる、お話も
面白かったです。日本では時差がないので、ピンときませんからね。

時差を感じないで旅行できるのは、心身にとって負担も少なくいいですね。

今日もありがとうございました。

たま

Chiyo さんのコメント...

たまさん、こんにちは。

コメント、どうもありがとうございました。
楽しんでくださり、私もうれしいです。

そうですね、
そこにあるのに、見えない。
そこにないのに、ある。
なかなか、考えだすと、たいへんですが、

ただ、
いったん、あの星空を見てしまいますと、
世界観が、やたらと、スケール大きくなります。
ひるまでも、たまに、思い出すことがあると、
まぁ、そんな小さなことで、どうのこうのと、
いわなくてもいいじゃない、と、
思えたりします。

その自然の雄大さを、
シェアしてくだされたようで、
とても、うれしく思います。

どうもありがとうございました。