2022年12月23日金曜日

泣いても笑っても、大拍手


 コロナも収まったような感じですので、
いろいろなイベントも、かなり盛んになっています。
私は、いろいろな企画を終えて、
一息入れています。

おまけに、
冬だというのに、
サッカーワールドカップがありました!
いつもは、夏に行われるのです。

今回は、
日本もすごかったですし、
フランスも、ずいぶんがんばりました。
ふだんはサッカーなど見ませんが、
ワールドカップですと、見入ってしまいます。

ブラボー、ブラボーです!
私など、
お茶を片手に、座って、
パソコンを見ていればいいのです。
がんばれ、がんばれ、と応援していればいい。

そこを、
あの広いフィールドを走り回る選手たちは、
どんなに疲れていることか、と思います。
毎日、毎日の、ものすごいトレーニングのことを
思いますと、
勝っても、負けても、
ともかく、ブラボー!と思います。
















そして、
先日は、歯医者さんに行きました。
この、友人歯医者さんは、ここから250キロくらい
はなれた、大西洋岸にいます。
いつも、日曜日の朝に、診てくれます。
そして、
のこって、おしゃべりをしたり、
食事をしたりするのです。
ですが、
今回は、サッカー決勝観戦のために、急いで家に戻りました。

この人は、サッカーなどに興味がないのです。
だから、一緒に見ましょう、ということには
なりません。

私たちは、帰り道、
途中の町で、ランチをとります。
レスントランでは、
日曜日で、ゆっくりした雰囲気の人もいますし、
私たちのように、急いでいる人もいれば、
もうすぐ始まる決勝の話で、
ずいぶん興奮しているグループもあります。
























さて、この決勝は、
ずいぶん激しくて、
ハラハラする試合でした。
結果は、惜しくもフランスは、
負けてしまいました。


次の日、
パリに、選手たちが帰ってきたとき、
お迎えの集まり(お祝い)をするか、しないか、で
ずいぶん、いろいろ迷ったようです。
負けたのだから、凱旋帰国とはいえない、など。

する、
しない、
する、
と、いろいろな知らせが、混ざりましたが、
最終的には、行われることになりました。
それがいい、と私も思いました。

その様子を動画で見ますと。
とてもたくさんの人たちが、
とてもあたたかく迎えてやっている様子は、
本当に、やさしく思えました。
がっかりしている選手たちも、
ねぎらわれて、少しは心が温かくなったかもしれない、
そうだといいな、
と思いました。


















ところで、話は変わります。
ノエルとは、あまり関係ありませんが、
きのうは、
ゴボウではない、
ゴボウのような野菜で、きんぴらを作りました。

サルシフィ、という野菜です。
辞書では、「ばらもんじん」と訳が出ています。
私は、そんな野菜を知りません。
ごぼうよりクセがなく、
でも、ゴボウのような歯ざわりになります。

自分でも、めんどくさいと思いますが、
皮をむいて、
細く切ります。
ずいぶん、時間がかかります。

でも、それができ上がったら、
もう、おいしくって、おいしくって、
あぁ、やっぱり苦心してよかった、と思うのです。

日本にいたら、
きんぴらなんて、それほど貴重ではないかもしれませんが。

















さて、
もう、ノエルは、目の前です。
今、これから、もみの木のかざりをつけます。
ちょっと、おそめ、です。
まだなの!?と、おどろかれます。
はい、はい、
ちゃんと用意します。

イブの日は、
カナッペや、お寿司。
ノエルの日は、
クネル(はんぺんのような、ねりもの)と、
お肉を予定しています。
デザートは、定番の、わが家の
ガトー オ ショコラ。
40年前から、同じレシピなのです。


それでは、
取りかかります。

















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2022年12月6日火曜日

時計クレージー


先日、うれしいことがありました。
小さかったころに読んだお話を、
もう一度読むことができたのです。

などと書いても、
大したことない、と思われる方も多いかもしれません。

どういうことかと言いますと、
そのお話というのは、
私のルーツのような、
私の変なクセまで説明できるような、
そんな、印象ふかいお話だったのです。

坪田譲治という作家の童話です。
ですが、
題名は忘れてしまいましたし、
なにしろ、たくさんの童話を書いた人ですから、
さがすのが、大変。
今まで、あきらめていたのです。

その変なクセというのは、
そのお話のせいでか、
時計というものが、
とても、好きになってしまった、ということです。

置き時計。
目覚まし時計。
柱時計。

好き、というより、
ちょっとこわい気持ちがします。
そのくせ、ひきつけられてしまうのです。

















こわいけれども、
見たい。
ローマ数字の時計なんて、
今では大丈夫ですが、
小さかったころは、こわすぎたのです。
それでも、
こわいもの見たさで、見ていたのです。

少し大きくなってから、
はじめて、
お年玉で買ったのは、
金色の、小さな目覚まし時計でした。
選んだのは、
ローマ数字でした。

それだって、
例のお話のせいだと思うのです。
それにしても、
いったい、どういう筋の童話だったか。

柱時計が、お化けのように、
歩き出したりする話のように覚えています。
それが、もう、ほんとうによく書かれていて、
その場にいるようになるのです。

それ以来、
時計が気になってしかたない。
その原因となったお話を、
もう一度読みたいと思っていました。

そして、
大人になった今の私が読んだら、
どう思うのか。
















そして、ダメでもともと、と思いながら、
念のために、
「柱時計」「坪田譲治」というキーワードで、
さがします。
まったく、
インターネットというのは、すごいものです。
見つかったのです。

その、びっくりうれしさと言ったら!

おまけに、
その昔の本を、1ページずつ、
写真に撮ってくれた人があるのです。
国会図書館が、です。
おかげで、この私は、1枚1枚、ページをめくって、
パソコンで、
そのお話を読むことができたのです。

いったいどういう目的で、
国会図書館が、
坪田譲治の小学3年生向けの本を、いちいち
ページをめくって、
こんな作業をしてくれたのでしょう。
なんとも、うれしいことをしてくださる方が、
あるものです!

自分の、思い出の奥に、ボヤーっと、
残っていて、
ほんとうに読んだ話なのか、
私が勝手に作り変えてしまったのか、
わからなかった、
その現物を読むことができました。

もう、
「ようこそ!」
と、
「おかえり!」が混ざったような気持ちでした。

筋は、私が覚えていたとおりでした。
いっきょに、また、
魔法にかけられたように、
そのお話の中に入ってしまいました。


















その時から、私は、
ずっと、この魔法にかけられ続けているのかもしれません。
今でも、時計というものを、
ちょっと、おそれ多い気持ちをもって、
見ています。

私の家には、あちこちに、
カシオの小さな目覚まし時計が、置いてあります。
洗面所にも、あります。

それについては、
どうやら、娘の一人にも、うつってしまったらしい。
先日、
「洗面所に、時計を置くのは、ごく当然なことである」と
まるで、
定理のように、言い切っていたのです。
それを聞いて、
これは、まずい、
言ってることが、私とそっくり、と、
あわててしまいます。

そして、その理由は、
朝、出がけに、洗面所を使っている時、
「あら、何時かしら」と、
別な部屋に、時計を見に行かなければならないとすると、
戻ってくるまでに、時間がかかる、
と言います。
朝の10秒、20秒は、ものすごく貴重なのだと言います。

私は、
心の中で、やっぱり、そのとおりだなぁ、と思います。
















というような、
合理的な理由もあるのですが、
もう一つ、時計は、
生きている証拠、のように思うこともあります。

チクタク、いつも動いています。
生き物のように。
だから、ひかれるのかもしれません。
それに、
ちょっと、神様のような、
絶対権力(?)を持っているような感じもあります。

その指示に従わないと、
チコクする、とか、
電車に乗り遅れる、とか、
おなべがコゲつく、とか、
いろいろ困ったことが起こる。
そんな風に、きびしいところがあります。

でも、コチコチ、心地よくもあります。
聞いていると、眠くなったりします。
夜、床に就くときには、
目覚ましをセットする。

ですので、私は、
コチコチいう時計がいいのです。
たまに、ぼんぼん時計も聞きたくなりますが、
実は、うるさくて、
あまり使えません。

それから、腕時計も、あまり、
使いません。
ピアノを弾くとき、
用事をするときは、
はずしてばかりいるからかもしれません。
















と、
時計の話になると、
止まらなくなります。

このへんで、やめときます。

あとひとつ、
このごろでは、コチコチいう時計より、
じーっという音の時計が多くなっています。
それに、
単に、
時計は、あまり必要なくなってきたようにも見えます。
みなさん、スマートフォンで、
時刻を見てらっしゃいます。

コチコチ言わない時計といえば、
私のお腹。
ぴったり12時半にお腹がすきます。
この正確さは、
ワンちゃんだって、同じです。
ある一定の時刻が来ると、
そわそわして、ご飯を催促してきます。
毎回、ぴったりの時刻に、です。

これは、なかなかおもしろいとおもいます。
















ところで、話は飛びます。

先日、パリに用事がありました。
ついでに、ユニクロに寄りましたところ、
それはそれは、すごい人で、
てんやわんやでした。

あったかい下着をたくさん売っているそうです。
それが大人気。
今年は、暖房の温度設定を低くします、という
おふれですので、
みなさん、あったかいものを探しているのです。
ユニクロ製品は、
もう、引っ張りだこ、という雰囲気になっています。

私も、今年は、仕事場でも、
いつもより、
ほんの少し、厚着にしています。

まぁ、暑いのが苦手な私は、
そのぶん、寒さは、あまり気にならないのです。

それにしても、
ロワール地方も、パリも、
まだ木の葉が落ちきっていません。
12月になっても、葉っぱがついているのは、
初めて見たような気がします。
来年の夏は、どうなるか、暑くなるのだろうかと
今から少し、気になります。
















さきほど、
ある店を出るときに、
「それでは、いいクリスマスシーズンをすごしてくださいね」と
言われました。
あぁ、そうだな、
そういう季節になったな、と思いました。

毎年、暮れになると日本に送る、
甘くて、おいしいものも、
たくさん買い込みました。

















それにしても、思うことがあります。

遠い昔、昭和のころ、
坪田譲治の童話を読まれた方は、
たくさんあったでしょう。

はたして、
今でも、この童話は読まれているのでしょうか。
それから、昔、読まれた方、
今でも覚えておられるのかしら、と、
ちょっと、興味深く思いました。


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2022年11月21日月曜日

香水の、モンダイ




 朝起きると、まっくらになる季節になりました。
もう、街では、クリスマスのかざりがつけられています。

そうすると、
朝起きるのが大変、という人も出てきます。

私は、、というと。
むしろその逆です。
外が暗い、早い朝は、
静かで、得したような気がします。

そして、
私は、朝ごはんが、大好きです。
もしかすると、1日の3食のうち、一番好きかもしれません。
ですので、
目が覚めれば、少しは眠くても、
「あぁ、朝ごはんの時間!」と、
よろこんで起きてしまうのです。

あつい紅茶とトースト。
こんなに、ありふれていて、
おいしいものはない、と思ってしまいます。

たまに、
夜、床に就くとき、
あぁ、お腹すいた、
はやく、朝ごはんにならないか、と、
思ってしまうことだって、あるくらいです。

まだ、暗い朝、
台所におりたら、明かりをつける。
お湯をわかす。
クレッシェンドに、わいてくる音。
そして、お湯を注ぐ時の、音。
そして、イキイキとのぼってくる、
紅茶の香り。







 





香りといえば、
今、ちょっと考え中のことがあります。
今までずっと使ってきた香水が、
前のように香りがしないのです。

まず、
私のハナが、にぶくなったのかもしれない、と
思いました。
同じ香水をずっと使っていると、
慣れてしまうこともあります。

それにしても、
前は、たまには、
「あぁ、すずらんの香りですね」、
などと感想を言ってくださる方もあったのに、
最近では、まったくありません。

ネットで探せば、
同じことを感じている人も、
ずいぶんあるようです。

私も、
考えてしまいます。















どうしようか、としばらくお店を回ります。
やっぱり、
いつもの香りが、以前とは違うような気がします。
あのステキな香りが、見つかりません。
「慣れ」のせいだけではないようです。
何だか、
どこにでもありそうな、
良くも、ワルクもない、香りがします。

こんなにお金を出して、
ちゃんとした香りがしなかったら、
「裸の王様」のようなものです。
私だけが、
いい香りだろうと考えていて、
実は、何の香りもしないのかもしれません。
























がっかりです。
ほかの銘柄に変えようか、と
いろいろ試してみますが、
まだ、
どうも、ぴったりきません。

今まで、この香水を、
自分の体の一部のように考えていましたので、
それを変えるというのは、
なかなか、ちょっとやそっとでは、
決められないかもしれません。
















とはいうものの、
もっと、カンタンに手に入る香りもあります。

このあいだ、仕事をしていたら、
すーっと、香りだか、思い出だか、
どちらとも見分けがつかないような感じがしてきます。

あ、古い香り、
でも、「これ!」とはっきりわかる香り、
と、思うのですが、
思えば、とても薄い香りです。

しばらくして、「あぁ、そうか」と、
わかります。
そばの、一輪ざしに、サザンカの花をさしておいた、
その香りでした。

もうその白い花は、ちょっとしなび始めています。
それなのに、
こうやって、確実に香りはします。
誰も知らないような、
珍しい香りです。

私は、遠い昔、昭和のころに、
そんな香りを、知りもしないで
気がつきもしないで、
生活していたのだと思います。



こんな風に、
品が良くて、
「気がつきもしないけれど、いい香り」というのが、
カンタンに手に入るのに、

それを、香水屋さんで見つけるのは、
それは、それは、ムズカシイ。

そういえば、
このごろでは、
窓を開けると、

どこかで暖炉をくべている香り、
湿った庭のにおい、
落ち葉の香り、
菊の花の、濃い香り、
などなど、

それはもう、いろんな香りがするのです。



となると、
もう、これ以上、人工の香水は、もう良しにしようかしら、
それとも、
やっぱりエチケットです、
何か、さっぱりした香りをさがそうか、などなどと
いろいろ考えてしまいます。

なにか、いい気分になるような香り。



きのうは、
久しぶりに、家で、ビデオ動画を相手に、
ボディジャムを踊りました。
9ヶ月ぶりくらいです。

一人で踊るのは、ちょっとイマイチです。
でも、
スポーツジムでは、このプログラムがなくなってしまったのです。
こうするしかありません。

それでも、
みんなと踊る楽しがなくても、
体がとても喜んでいるのが、わかります。

「あぁ、楽しい!」と、
関節、筋肉、スジたちが、言っています。
どんなマッサージよりも、
もっといい気持ちです。

ボデイジャムを毎週踊らないで生きていくのは、
残念すぎる、
これも、何とか、解決方法を見つけないと、
と、思いました。

世の中が、いろいろ変わっていくのに、
ついていかなきゃ、と、
ちょっと、焦るような気持ちになりました。



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2022年11月14日月曜日

フランスで、麻雀

 

この秋は、ちっとも秋らしくありません。
紅葉が始まっていないのです。

いつもでしたら、
今ごろは、葉っぱは全部落ちてしまっています。
それが、今年は、
まだ、まだ、です。
青々していますので、
私の方も青くなります。

ツタなどは、
赤になったり、
黄色になったり、
毎年、ちがう色が出ます。
今年はどんな色になるだろう、と楽しみに見ています。
それは、急に寒くなると、色が出るそうです。

ところが、
今年は、まだ、「緑」プラス「ほんのちょっと黄色」!
















先日、田舎の方に、車を走らせました。

日本の、お彼岸のような日に当たります。
フランスでは、その日に、
お墓まいりをする習慣があります。
私も、お墓に行きながら、
いなくなった人たちのことを、思い出しました。

あぁ、こんなことしたな、
あぁ、こういう言葉を使っていたな、
あぁ、この地名を発音したのは、久しぶり。

デザートに、あんなの作ってくれたっけ。
今では、だれもつくらないような、お菓子。
今度、作ってみようかしら。
人気が出るかもしれない、などと考えたりします。
(缶詰のパインを使ったケーキ)

ケータイ電話も知らずに、
ウイルスのことも知らない人たち。
一昔前の人たち、です。

その人たちには、
当たり前のように、
いろんなんこと、してもらっていました。
今になって、とてもありがたく思います。

今は、私が、
若い人たちに、何ができるかしら、と思います。

























ウイルスも、ずいぶん弱ってきたようです。
おかげで、いろいろなプロジェクトが、
活発になってきています。
私も、いろいろ、することが出てきています。

ウイルスは、もう、フランスでは、
いなくなったような感じなのです。
とても、ふつうに生活しています。
それなのに、だれも
よかったですねぇ、やっと終わりましたねぇ、と
感激する人はありません。
そこが、ちょっと不思議です。

私は、一人で、
「よかった、ああ、ホッとした、
ふつうに生活できる!」と
喜んでいるのですが。

もしかすると、
まだ、本当に終わってはいないのかもしれません。























これまた、本当に終わったのかどうかは
わかりませんが、
ウクライナの件は、なんとなく、
終わりが近づいてきたような気がします。

だとしたら、いいのに!!
















話は飛びます。

先日、思いついて、
麻雀を、しました。
パソコン相手に、です。

実は、
私の住む地にも、
麻雀を楽しむグループはある、ということです。
お年寄りの集まりで、
ブリッジクラブのようなものだそうです。

私も、
この先、年をとったら、
麻雀の集まりに出かけようかしら、と思いついたのです。

それが!
4人集まらなくても、
一人でも、練習できるのです。
パソコン相手で。

まぁ、集まるのが楽しいのですから、
一人でゲーム、というのは、寂しい感じがします。

それにしても、
ちょっとした合間に、練習できるのは、
取り柄です。
いつも、ピアノ相手に、一人で練習していますので、
麻雀を一人で練習するのは、
ごく自然に感じます。

何十年ぶりかに、
このゲームで遊びました。
あらためて、素晴らしいゲームだと、
感激します。

囲碁や、チェスは、戦いのゲームです。
ところが、麻雀は、そうではなくて、
自分がどう工夫して生きていくか、という風に見えます。

役の名前も、詩を読んでいるように美しい。
そして、なにより、
楽しい、楽しい。















もしかすると、
以前より、上手になったかもしれません。
昔は、とてもヘタだったのです。

それが、練習するうちに、
要領がわかってきます。

そして、
これは、人生と似てるかもしれない、と
思えてきます。
人生のコツ、のような気もしてきます。

ですが、これは、話すと長くなりますので、
また、別な機会に書くかもしれません。

そして、
世の中には、いえ、
フランスや、日本には、
どれだけ麻雀で遊ぶ人がいるのだろうと、
想像しました。

日本では、最近では、
子どもたちのクラブがある、と
聞きます。

なるほど、それは、いいなぁと思います。
なかなかスピード感のある、
楽しい遊びだと思います。
















読者のみなさんのところでは、
秋が来ているでしょうか??
お元気で、おすごしください。


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2022年10月30日日曜日

こういう想像はしていなかった



 
先日、お天気もよかったので、
近くの森に、キノコ採りに行こうということになりました。
結果は、
おめあてのキノコは、まだまだでした。
ちょっと食べたらあぶなそうなキノコが、
いくつかあるだけでした。

森の中は、
まだ、湿っぽさが足りない感じです。
これでは、キノコは育ちそうにありません。
あともう少し、雨が降ったら、
ぐんと、キノコが芽生えると思います。

私のおめあては、ボレというおいしいキノコです。
日本では、
ポルチーノ、と知られていると思います。
私は、この味をよく知っているのです。
遠い昔、
昭和時代には、たまに「クノールスープ」という、
粉末のスープを作ってもらいました。
キノコ味、というのがあって、
とてもおいしかったのです。

それが、
この、ボレ、というキノコの味なのです。
松茸のように大きくて、たっぷり肉がついています。
フライパンで炒めると、
あのおいしいスープの味が、するのです!







 

 



そのボレには、出会えませんでしたが、
森の中を歩くのは、
気持ちがいい。
そして、苔をちょっと失敬してきました。

これで、
苔玉を作るかもしれません。














食べ物の話は、まだ続きます。

先日、アジアのスーパーで、
冷凍の、紀文のおでんの具を見つけましたので、
よろこんで、煮込みましたところ。

フランスの人たちには、あまり人気がなかったです。
私は、
おでんを食したのが、10数年ぶりだったので、
それはそれは、おいしくいただいたのですが。

このおいしさは、わからないかな、と
ちょっと、考え込んでしまいます。

なんでもが、
ふわふわしていて、
お魚の味、
ごぼうの味、
はんぺんのふわふわ、
など、
ものすごく、魅力的なのに。

そして、きょうはなかったけれども、
もしあったら、
ちくわぶ、
バクダン、
銀杏なども、
とびきりおいしいのに、と
私の考えは、勝手に、あちこち行ってしまいます。

でも、フランス人には、
わからないだろうなぁ、
寒い日、
あの屋台の前を通る時、
食べずに通りすぎる時の、あのおいしそうなにおい。

もしくは、
プールから上がった時の、
串にささった、
たった一品のうれしさ。

そういう時は、おなかがすいているから、
なるべくお腹にたまるもの、
だから、
ちくわぶを選ぶ、
味がしみてると、なお良い、などという考えが、
いくらでも思い起こされます。

そんな思い出がなければ、
やっぱり、このおでんのおいしさは、
わからないだろう、
ふむふむ、と思いました。















話は、変わります。

しばらく前に、友人に連れられて、
おもしろいお店に行きました。
ずいぶん前からあるお店。
一度も入ったことのなかった、
古着屋さんです。

それが、まるで肉や野菜のように、
重さではかって、いくら、となります。
大きなお店で、
中に入ると、
もう、たくさんの品がハンガーにかかっています。

あちこちに、はかりがあって、
いくらくらいするのか、調べられます。
まったく、おもしろい売り方です。
そして、
一昔前の、ウールのいい布の服が売られていたりします。
いい掘り出し物がありそう、と思って見ていると、
もっとびっくりすることがあります。

それは。
日本の古い着物が売られていることです。
それは、絹の着物やら、
羽織、留袖、ウールのもの、
ゆかた、帯、半帯、いろいろなものが混ざっています。
こんなところで、
着物が手に入るなんて!
それも、とっても手頃なのです。

そこで、
私は、1970年の、
大阪万国博のシンボルマークが柄になっている
楽しいゆかたと、
これまた、おもしろい柄の男物の
ゆかたを手に入れました。

万博なんて!
これを着て、たぶん、盆踊りを踊ったのかもしれません。
そういえば、
それを見た覚えがあるような気もします。

あの楽しい思い出が、もどってきます。
それを、このロワール地方で、見つける、というのは、
なんだか、妙な気持ちがします。
















そして、
きょう、また、別な人を連れて、
そのお店に行きました。
きょうは、
半幅帯を手に入れました。
かわいらしい、地味な手まりの柄が、織られていました。
クリスマスには、
この帯をしめてみようかしら、と思いました。

ところで、
このお店は、大変な人気です。
若い人も、そうでない人も。
そして、
このお店では、
着物以外の洋服には、日本製の古着がたくさんあることに
気がつきました。
日本人のお古を、
フランス人が、こんなに喜んで買いに来るなんて。
私は、想像もしていませんでした。

遠い昭和時代に、
未来は、どうなるか、と、
いろいろ想像しました。

学校では、
テレビ電話だとか、
宇宙ステーションだとかを、
絵に描いたり、
話をしました。
そんな時、
フランスの人に、日本のお古を売るようになる、とは、
だれも気がつかなかった、と思いました。

















さて、
きょうで、フランスでは、
夏時間が終わります。
時間を変えますので、こんばんは、1時間多く、
眠ることができます。

明日の朝、いつもの時間に起きたら、
ちょっと早すぎ、ということになります。
毎年、この日は、
余裕たっぷりの1日になります。

そして、ちょっとびっくりなのは、
今年は、
とても暖かい、ということです。
省エネをしたかったので、
まぁ、このくらいでちょうどいいかなと思いました。


きょうも、
ご訪問、ありがとうございました。











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2022年10月14日金曜日

「お給料はいくらですか」と聞かれる



 

新学年が、スムースに始まったと思ったら、
なんだか、ものすごく「密」な毎日になってしまっています。

「ふだん日記」などと言っておいて、
これは、日記ではなくて、「週記」だと思い始めていたのが、
今度は、「月記」になってしまいそうです。
でも、
もうじき、一段落つく予定です。


きょうは、
きのう、生徒さんが
とっても、いいことを言ってくれたので、
ここに書いておくことにします。























何が、よかったかって、
それは、本当の年より、15才若く見つもってもらえたのです。
気分が良くなります。
実は、フランスでは、
だいたいアジア人は、若く見られるのです。
だから、私は慣れているといえば慣れています。

それにしても、
同じ午後に、2人もの人から、
ぴったり同じ年齢を、言われたのです。

なんだか、その年齢が本当の感じがしてしまいます。
気分は、すっかり「若く」なってしまいました。

さて、
なぜ、そんな話題になったかといいますと。
生徒さんが、
私は何年間ピアノを弾いてきたか、を知りたがったからです。
そして、何才にピアノを始めたか。

私の年を知りたくて、
そういう手の込んだ質問をしたのかもしれません。
よくわかりませんが、
ほんとうに、
何年ぐらい経験を積むと、これくらい弾けるようになるか、
と、思ったのかもしれません。
















それに答えると、
とてもするどい、ちいちゃな生徒さんは、
頭の中で計算をして、
「へぇ、いま、〇〇才なんですね、
びっくり。
▲▲才だと思ってました」と言います。

別な時に、もう一人の生徒さんが、
また同じことを言ってくれます。

まぁ〜、ありがとう。



ところが。
もう一人、すごい質問をしてきた7才の女の子もあったのです。
やはり、きのうの午後こと。
私が、どれくらいお給料をもらっているか、
という質問です。
こんなの初めてです!

むむ、どう答えようか、と迷います。
しばらく考えて、
「いいお給料もらってますよ」と、
数字ではなくて、
私の気持ちをいいます。

だけど、なんで、そんなことを知りたいのです?
尋ねてみれば。























それは、自分は、学校の先生になりたいけれども、
お父さんが、
「学校の先生になるためなんて、そんなことに
学費は払いません」と言った、ということです。

そんなの、払い甲斐がない、ということだそうです。
もっと、いいお給料がもらえるものにしなさい、
ということらしいです。

それで?あなたはどう思ってるんですか、と聞けば、
その答えが、すごいのです。
私はうなってしまったのですが、

私は、お給料よりも、自由でいたい。
人生では、自分の好きなことをしたい」という返事なのです。
だから、やはり学校の先生になりたい、と。

7才の女の子が、こういうことを、
はっきり言うのです。
もう、びっくりです。
私は、そんなこと、きちんと考えたことあるだろうか、と
思ってしまいました。
























私が「いいお給料をもらっています」と言ったので、
ピアノの先生になるのはいいことかもしれない、と
思ったそうです。
お父さんも賛成するだろう、と。

でも、私がなかなか数字を言いませんので、
お給料の件は、
また別な先生に質問するつもりです、と
言って、帰って行きました。

なんだか、すごい生徒さんだと思いました。
見た目は、
かわいらしい、7才の女の子でした。




きょうも、ご訪問、
ありがとうございました。


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