2020年4月21日火曜日
あまりお礼を言われたことがない
朝、
散歩に行くのが、
だいたいの日課です。
たまに、
夕食後にも、散歩に行きます。
きのうの晩、
ルートをかえて、
こども病院の方に、行ってみますと。
車の入り口に、
大きな布がかかげてあって、
「あなたがたのメルシーに、
メルシーを言います」というようなことが、
書いてありました。
大学病院のメンバーが、
「あなたがたからのメルシーに、
感謝してます」と言っているのです。
なんだか、
かわいらしくて、
こんな大変な時に、
よくまぁ、こんなことをしてくれました、と、
また、それに、
メルシーを、言いたくなりました。
「ありがとうと言ってくれて、
ありがとう、なんて言ってくれて、
ほんとに、ありがとうネ」
という気持ちです。
ご存知かもしれませんが、
ロックダウンが始まってから、
フランスでは、
夜8時きっかりに、
窓をあけて、拍手をします。
毎日、です。
医療関係の携わっている方々、
その他の方々に、
感謝の気持ちを、「拍手」で、
あらわす、というものです。
それに対するお礼でしょう。
心がほろりとします。
こんなこと、
今まであったかしら、と
考えてみます。
私の知っているフランス人は、どちらかというと、
親切なくせに、
ありがというと言っても、
はにかみ屋なのか、くすぐったいのか、
「なになに、どってことないですよ」と、
素っ気ない答えをする人が、多いように、
思えます。
いえいえ、
もしかすると、
そういうことは、あったかもしれません。
お礼されて、うれしかったと、
素直によろこぶフランス人。
あります、あります、そういうこと。
あまり、メルシーと言われたことない人かもしれません。
そういう思い出が、よみがえってきました。
それから、
先日の土よう日も、
夕ご飯の後に、散歩に出ましたところ。
どこからか、大きなボリュームで、音楽がきこえてきます。
だれかが、窓をあけて、
ダンスパーティをひらいている模様です。
よくよく歩いて、
その窓とやらを見つけました。
大通りの、交差点の2階の窓。
音楽をつけて、お兄ちゃんが、
拡声器で、DJをやっています。
楽しそうです。
そういえば、きょうは、土よう日ですものね。
向かいの2階では、アパートの外に出て、
歩いては危なそうなところで、
踊っているカップルもいます。
バス停にいる若い人たちは、
うれしそうに、踊っていますし、
ちらほら見える、そこらへんの人たちも、
なんだか、踊っています。
!
もちろん、
私は、踊ってしまいます。
歩きながら、進みながら、
踊ります。
くるりと一回転します。
そばにいる夫は、すぐ恥ずかしがって、
「やめなよ」というジェスチャーをしますが、
かまわない、かまわない。
おどるあほうに、
見るあほう、
おなじあほなら、おどらにゃそんそん♬
あ〜、ゆかいゆかい。
その窓の下を通りますと、
私のようなおばさんが踊っているのを、見たのでしょう、
拡声器のお兄ちゃんは、
とたんに、ちょっと、盛り上がります。
何を言ってるのか、よくわかりませんが、
一緒に踊れて、お互い、うれしいのは、
たしかです。
このごろ、
家でひとり踊ってばかりです。
やはり、
だれかと一緒に踊るというのは、
とても、楽しいです。
あぁ、
早く、パーティや、バーに行きたい。
ダンスのレッスンにも行きたい!
そういえば、
今週の木曜日には、
ラテンダンスの講習会に参加することになっています。
もちろん、
ネットでなのですけれども。
私の大好きなボディジャムの先生は、
ヒップホップ系もうまいですが、
もともと、
ラテンダンスが専門なのです。
私はその先生が大好きなのと、
応援したい気持ちで、
参加することにしました。
(ラテンものは、はじめてです)
すると、
参加者みなさんが、
画面に映るのだと思います。
みなさんと一緒に、ダンスを習うことになると思います。
どうなりますか、
とても、楽しみにしています。
どういう服で、
どういう靴で参加するのか、
よくわかりません。
前日に質問するつもりです。
ラテンは、ヒップホップとは、
雰囲気はちがいます。
でも、
私のやっているヒップホップのボキャブラリーを、
豊かにしてくれるのではないか、と
ひそかに楽しみにしています。
きょうも、
お訪ねくださって、どうもありがとうございました。
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2020年4月17日金曜日
泣いても、笑っても
毎日、毎日、
僕らは鉄板で、という
メロディーが、出てきてしまいます。
家にこもって、しばらくになります。
とてもモノトーンな毎日です。
ロックダウンは、
一ヶ月たちました。
そして、まだ、あと3週間ちょっと、
続くようです。
まったく、
今になっても、信じられないことです。
毎日、ものすごい数の方々が、
命をおとしています。
その数字といったら、
いつもの、ニュースになることから見たら、
比べものにならないです。
それでも、
ニュースでは、
「きょうは、ほんの少し、よくなりました」
などと、聞かれます。
「ええっ」と、思います。
私は、
よくない映画を見ている気分がします。
たしか、
「方丈記」という本には、
作者が、
火事、地震、ききんを経験したことが、
書かれていました。
疫病というのも、
そこにはいっているかと、思っていました。
もういちど、本を開いてみますと、
水害、風害そして、
ききんのこと。
疫病のはなしは、なかったです。
なにが、ワーストだろうか、
地震か、ききんか、疫病か。
くらべても、
どれも、これも、大変なことばかりです。
それにくらべて、
今の私は、
家の中で、のんびり、
料理などして、
「あら、かれこれが、足りないわ。
注文しましょう」なんて、言います。
ニュースさえ見なければ、
ずいぶん、
平和な生活を、私は、おくっていることになります。
ところで、
学校に行けませんので、
今、私は、
インターネットをつかって、
ピアノのレッスンをしています。
いつものクセで、
私は、生徒さんに、
「次の新曲は、どんなのがいいですか」と
ききます。
ユカイなの、
寂しいの、
速いテンポ、
ゆったりの、
せつないの、
リズムのキレがいいの、
などなど、
なんでもいいから、
弾きたい雰囲気を、
おしえてもらいます。
すると、
前にも書いたかもしれませんが、
8割は、
「さびしいの」
「切ないの」
「涙が出そうなの」というような、
答えが、かえってきます。
それは、
ふしぎな現象です。
あんなに若くて、ピチピチの人たちの
答えが、です。
私は、いくら考えても、
その理由がわかりません。
話してみれば、
もちろん、
悲しい境遇になってみたい、
っていう人は、いません。
平和な境遇で、
悲しい曲をきいたり、弾いたりするのがいい、
ということです。
私も、
なんとなく、それは、わかります。
悲しい曲は、心にしみます。
だいたい、世の中の音楽は、
大半が、悲しい曲ではないかと、
思います。
ところが、です。
今、
ふしぎなことが、おこっています。
なので、
記録しておきます。
ロックダウン以来、
私の生徒さんに、
きいてみたかぎり、
全員が、
「楽しい曲」が弾きたい、というのです。
どの人にきいても、
みな、そういいます。
これは、
ふしぎです。
いつか、
説明をつけたいです。
それにしても、先が心配になります。
けれど、
私にできることは、
これ以上ありませんし、
これから先、外へ出て働くようになって、
どうなるのか、心配ですが、
それは、腹をくくるしか、ありません。
タイヤキくんのように、
いつかは、食べられちゃうことを考えますと、
あまり、心配せずに、
今のこの時を、
なるべく、楽しくすごしていきたいと、
思ったりしました。
きょうも、
読んでくださって、ありがとうございました。
p.s.
ルモンド紙に、
とってもステキな写真の記事がありましたので。
はりつけておきます。
今の、フランス。
行ったことがあるようなところが、
今は、こんななんだなあと、
涙がでました。
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2020年4月13日月曜日
ロックダウン的イースター
きのうは、
復活祭でした。
クリスチャンでない私でも、
ふだんなら、
卵型のヌガーや、
チョコレートをプレゼントしたり、
小さな集まりをしたり、します。
きのうは、
ロックダウン中ですから、
夫と2人で、ささやかな復活祭。
こんなとき、
なんでも行事は、大歓迎!
このモノトーンな毎日に、
アクセントをつけたくて、しかたないのです。
ですので、
お昼には、
お寿司もどきを、作りました。
思うように、買い物はできませんが、
注文したもので、
つくってみます。
グリーンアスパラと、
いり卵と、
塩づけの、にしん、
サーモン、
いくら、を、
酢めしの上に、ちらします。
のりを、きざんで、
ふりかけると、
なんとなく、ちらし寿司のようです。
遠目には、ピッザのようでもあります。
さて、
デザートは。
スーパーに注文して、届けてもらった、
お菓子です。
日本のお菓子。
遠い昔、
昭和時代、
幼稚園、教会学校に通っていたころ、
イースターには、
きれいな色のセロハンに包まれた、
ゆで卵を、一個もらえました。
家にかえって、
セロハンをあけると、
先生が、描いてくださった、
きれいな模様がでてきます。
サインペンで、
ずいぶんと時間をかけて、描いてくださったはずです。
毎回、ちがいます。
それが、うれしくて、
ゆで卵も、
いつもより、おいしいと思ったりしました。
それから、
中学のころ、
ヨーロッパのおみやげを、いただいて、
おどろきます。
めずらしい、
ウサギの形をした、大きなチョコレート。
中は、がらんどうですが、
そのおいしさといったら、
日本にはない、おいしさでした。
少しずつ、少しずつ、いただきました。
そのあと、
外国人の、英語の先生に、
「どうして、復活祭というと、
ウサギが、出てくるのでしょうか?」と、
質問をしたことがあります。
東京生まれの私には、
ウサギと、復活祭と、
どう結びつくのか、
とても、不思議です。
卵なら、なんとなくわかります。
でも、なぜ、ウサギ?
けれど、
その時の、先生のお答えは、
わかりそうで、わからない。
「春だから、
ウサギが、ぴょんぴょん出てくるから」
うーん、なるほど。
でも、
実感は、ありません!
それが。
けさ。
こういう景色を、
橋の上からながめていたとき。
目を、よくこらしてみると、
(写真の具合、ゴメンナサイ。
右下のあたり、よくごらんください)
とても、いたずらそうな、
ウサギ君が、いるのです。
しばらく、きょとんとしています。
そのあと、
鳥のようなスピードで、
ダッシュしていきました。
その速いこと、速いこと!
うわぁ、
これが、ウサギか。
ピーターラビットそっくりです。
イースターの、マスコットなんだなあ、と
ようやく、
長年の疑問が、とけて、
すっきりした気持ちになりました。
お話にでてくるように、
きっと、長い冬眠から、起きだして、
こうやって、走り回っているのかもしれません。
私たちも、
もうじき、
こんなふうに、走り出す時が、くるはずです。
私たちの冬眠よ、はやく、終われ〜。
さて、
きのうの、イースターのデザートは、
なんだったかと言いますと、
ミルクチョコレートの、ポッキー。
フランスでは、
「ミカド」という名前で、
すっかりなじまれています。
外国でみつかる、
私にとっての、昭和の、味。
遠足の時の、おやつの味。
しばらくぶりだったので、
それは、それは、
なおさら、味わいぶかいものでした。
紅茶といっしょに、
いただきました。
きょうも、
読んでくださり、ありがとうございました。
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2020年4月9日木曜日
夕方の街は、不気味
毎日、
来る日も、来る日も、
家で、暮らしています。
たいていは、
朝、ロワール川に散歩に行きます。
けれど、
きのうは、夕ご飯のあとに、
外に出ました。
毎日同じことをしていますから、
ちょっと、おもむきを変えたく思ったのです。
別の方向に、歩いていきました。
お店のある、古い街なみのあるところ。
毎回、
許可証を書いて、それをポケットに入れて、
外に出ます。
でも、
調べにあったことは、
この一度もありません。
毎回、同じ文句を書くのは、
もうそろそろ、あきあきしてきました。
さし絵を入れたら、
文書が、正確でない、ということで、
罰金になるのか、それとも、
警察の人の心が、なごむか、
ためしに、猫の絵をかいときました。
でも、結果は、
警察の人には、出会いませんでした。
それにしても、
この街の人々は、まじめなのでしょうか、
まったく、人が、見えません。
屋根裏部屋のような、上の方の窓からは、
あけはなれて、
音楽がきこえてきたりします。
電話する声も、きこえます。
ですが、
外で、ふらふらする人は、見えません。
私は、夫と、
「体のために」散歩していることになっています。
実際は、
久しぶりに、
すてきな洋服のウインドーを、ながめたりします。
ですが、
もう、春で、
陽気がいいのに、
ウインドーの中は、まだ、寒そうな服のままです。
いつもだったら、
季節を先取りして、
ステキなコーディネートを!と、
腕をふるうお店なのに。
ロックダウン以来、ずっと閉まっているお店。
時間が止まってしまった、
映画のようです。
ポンペイの街と、似てるかもしれません。
たまに、
救急車が、サイレンもならさずに、
ライトをチカチカつけて、
活動していたりします。
その不気味なことといったら、
映画の中にいるようです。
毎晩、
ニュースをつけますと、
数字が出ます。
その数字は、
はじめのころは、
おどろき、
心が、ひっくりかえるようでした。
ところが、
毎日、毎日、数字を見ていますと、
それが、どんどん増えていても、
ただの数字にしか見えなくなってきます。
前ほど、びっくりも、しません。
ああ、今晩も、
こんな数字がでるんだろうな、と
慣れてしまっています。
慣れてしまう、というのは、
私は、おそろしく、思います。
戦争のときも、
こうだったのか、と
父の話を、思い出したりします。
「あぁ、
あそこのうちでも、お父さんがなくなった」
などと、
よくきいていた、と。
さて、
植物や、動物たちは、
いつもどおり、元気に、暮らしています。
今、うちの窓をあけると、
藤の花の香りがします。
おとなりさんの、です。
とても、はなやかな、高級そうな香りです。
ロワール川も、
元気そうです。
写真をとるたび、ステキだなと、思います。
毎日、橋をわたったり、
家では、のんびり料理をしていた、
そんな時があったなぁ、
バカンスみたいな、
へんてこな時期だったなあ、と
なつかしく思う日が、くると思います。
将来、
忙しい仕事ができて、
てんてこまいになった時、
今みたいな、ゆったりした時間が、
うらやましくてしょうがなくなる、
そんな日がくるだろうな、と
想像したりしました。
きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。
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2020年4月6日月曜日
ロックダウン、4週目
フランスのラックダウンは、
4週目に、入ろうとしています。
毎朝、許可証をもって、散歩します。
ロワール川をわたるのが、クセになりました。
橋を、2度行き来します。
いつもだいたい、とてつもなく晴れていました。
空は青いですし、
車がなく、
静かで、
気持ちいいです。
けさは、
めずらしく、
雨ふりでした。
気のせいか、木々は、青い芽をふいて、
どんどん、いい色になっています。
きのうと比べると、
ずいぶん、若葉が吹き出しています。
雨ふりで、
川の上は、風がふいています。
それも、オツなものです。
久しぶりの、おしめりは、
気持ちがいい。
フードをかぶって、
かさをさして、
ひたすら、歩く。
家では、
毎日、来る日も、来る日も、
電話か、
パソコンのスクリーンを見ています。
話す人といったら、
家人か、
電話の人。
レッスンは、ビデオで、です。
生徒さんを想像して、
話す。
想像上の人と、話してばかりです。
そのクセが出てしまったのか、
けさは、
橋の上を歩きながら、
つい、父と話をしてしまったです。
もう、天国にいるはずの父。
「もしもし、
どうしてる。
それにしても、
大変なことになっちゃったよね。
そっちは、どう。
志村けんさん、来たかい。
おもしろいこと、言ってるかい。
きのうは、マスクをつくったよ。
完璧に、ふせげないけど、
やらないより、ましだよ。
おとうさんは、
もう大丈夫だね。
ウイルスの心配ないね。
完璧に、楽勝だよね」
父が、いるはずありませんけど、
毎日、電話で人とはなしてばかりいると、
天国の人と、
地上の人との、区別が、つかなくなってきます。
だったら、
話しても、いいか、と
声を出して、歩いてしまいます。
まわりにだれもいませんし。
もし、だれかが見たら、
ちょっと、あぶない人になっているかもしれません。
でも、
こうやって、おしゃべりして、
ずいぶん、すっきりして、
家にかえってきます。
毎日、毎日。
おひる、と、夕食。
なるべく、かわった物をつくります。
ふだんは、同じようなものを、
リピートして作っています。
今では、なるべく違うものを、作ります。
ついこないだは、
中華の、ちまきを蒸しました。
もち米、ぶた肉、にんじん、きのこ。
おいしい!
なんで、もっと、ふだんから
作らないのだろう、と思いました。
また、
キャベツを2個注文しました。
そのキャベツを、保存のために、
漬け物につけました。
または、
山芋をおろして、とろろ。
そばに、とろろと生卵をかけて、いただく。
それは、
楽しいです。
夕方に時間がたっぷりあるというのは、
かなり、ぜいたくで、うれしいです。
きょうは、これから、
クッキーを、作ります。
梅のジャムを、だしてきて、
それを真ん中に、ちょこんと、のせて焼く。
食後のお茶の、お茶うけに。
そして、
マスクを、ぬいます。
香港マスク HKmask というのを、
友だちから、おしえてもらいました。
フランスでも、
だんだん、マスクをした方がいい、という
流れがおこってきたのです。
ですから、
仕事にもどるようになったら、
使えるように、と、今から、考えます。
このマスクは、
きくところによりますと、
完璧ではないかもしれませんが、
かなり、いい線いっているかもしれません。
けれど、
気になることが、あります。
いったん、このマスクをつけてしまうと、
気軽に、お茶をすすることもできない、
ということです。
ちょくちょく、
とりはずしは、してはいけないそうです。
レッスン中でも、私は、お茶を飲みます。
マスクをしているため、
それが、できなくなる、というのは、
とても、むずかしいことです!
だんだん、慣れていかなくてはなりません。
それにしても、
ぬいものは、いつもなら、楽しいですが、
今回は、あまり楽しくありません。
ただ、人のためになりますように、と、
作り方をおしえてくださる人たちのことが、
心にしみます。
涙が、出ます。
毎日、涙が出ます。
つい、こないだまでは、
ふつうの生活をしていましたのに。
とつぜん、
みんなそろって、こういうドラマに
入り込んでしまいました。
はやく、終わりますように。
みなさま、
無事でいらっしゃいますように。
きょうも、読んでくださって、
どうもありがとうございました。
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2020年4月1日水曜日
災害を願ってしまったことは、ある
きょうは、
エープリールフールの日です。
来る日も、来る日も、
家に、こもっています。
はじめは、
「働かなくていい」という
怠けの気持ちでいました。
ところがどっこい、
テレワークで、
家にいながらにして、
生徒さんと、つながる作業をしています。
そして、動画でレッスンをします。
それは、
丸一日中、
お店をあけているようなものです。
学校に出て行って、
仕事をしてくる方が、
ラクなようにも、思えます。
まぁ、それはともかく。
ところで、
家にこもるようになって、
2週間がたちました。
もう、
きょうがいつで、
いつが、あしたで、
なにがなんだか、
よくわからなくなります。
船の長旅で見たことを、まねして、
なるべく、食事は、
変化をつけます。
忘れていた、乾物の、ひじきを
出してきて、
サラダを作ったりします。
ふだんには、めったに、おこりません。
ゆっくりお料理する時間は、あります。
それは、楽しいと思います。
それにしても、
一日に12回くらいは、
私は、「まだ、信じられない」と、
声に出して、言ってしまいます。
遠い昔、
中学のころ、
水泳大会に出るのがいやで、
前の日、
「なにか、災害でもおこって、
中止になってくれたらいいのに」と、
本気で思ったことがあります。
それから、
もっと大きくなってからでも、
演奏会の前など、
「ストがおこって、中止にならないか」とか、
「大雪でもふったら、ストップするのでは」などと、
思ったこともあります。
そういえば、
小学校のころ、
学級閉鎖になったらいいのに、
と、祈ったこともあります。
おとなりのクラスは、閉鎖になったのに、
私のクラスは、閉鎖にならなかったのです。
ところが、
今、
ほんとうに、そういう事態になってしまった。
とんでもない。
許可証をもって、外に出ても、
静かで、ほとんど人がいない街です。
テレビをつければ、
世界中が、困っています。
悪い映画を見ているようです。
そんなことが、ほんとうに、おこるなんて。
さっき、
生徒さんの一人に、
動画レッスンの最後、
メッセージをつけました。
「オンライン授業の成果が、
あまりにもかんばしいですので、
これから先、ずっと、
ロックダウンが終わってからも
オンラインで授業します。
学校のレッスンは、なくなります」
まぁ、
彼なら、これが、ジョークだとわかると思います。
ちょっぴり、おどかしてやろうと、
思ったのです。
さて、
今晩も、いつものように、
また、ニュースをつけます。
数字が出ます。
働いている方々の様子が、見えます。
涙が出てしまいます。
早く、
おさまりますように。
働いている方々が、守られますように。
みなさんも、お元気でいらしてください。
いらしてくださって、ありがとうございました。
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