2019年6月25日火曜日

日本人の才能と、ちから



6月も、終わりに近づいています。
ここフランス、ロワール沿いでは、
あと、いく日かで、
ものすごい暑さが、くるということです。

それが、
38度とか、39度とか。
サハラ砂漠から、あつい風がふいてくるのかもしれません。

暑さが苦手だから、ここに住みついたはずなのに、
このごろでは、
このあたりが、フランスで一番あつくなったりします。

どうしよう、
住む場所を、考えなおさなくては、
と、思います。



ところで、
日本のテレビを、フランスでも見られるようになりました。
私が楽しみに見ているのは、
大河ドラマ「いだてん」です。

オープニングを見たときから、
これは、ただものじゃないな、という感じがしていました。
見てみますと、それが、それが、
まぁ、すばらしい。

このすばらしさ、
言葉に、書けるかしら?

あまりに感動して、
私は、次の日、再放送をまた、見ることもあります。
細かいところまで、
まぁ、よくできているドラマです。
さら、っとみただけでは、
もったいないのです。

脚本が、おもしろい。
おはなしが、よく組み立てられて、おもしろい。
平面パズルと、立体パズルくらいの差があります。

俳優さん、それぞれの持ち味がよく出ている。
それぞれ、熱演。
言葉ひとつ、どれとっても、ムダがない。

深い。
やさしい。
おもしろおかしい。

こんなステキなドラマは、なかなか見たことがありません。

ビデオを買って、
何度も見たくなります。
でも、
やっぱり、これは、
一年かけて、じっくり見るからおもしろいのだと、思います。



人気が低くても、
これは、きっと国営だから、
こうやって、続けてもらえるのだと思うと、
あぁ、よかった、
と、胸をなでおろします。
こんなすごいものを、よく作ってくれたと、
ありがたく、思います。

それに、
私には、江戸っ子の血が流れています。
だから、江戸っ子の話しっぷりをきくのは、
気持ちがいい。

そして、
よく知らなかった、関東大震災のこと、
おどろき、
そのあと、がんばって東京をたてなおしてくださった、
大勢のかたがたの、ご苦労を、
ありがたく思います。

その20数年か、あとに、
また、空襲で、焼け野原になってしまったことを、
思いますと、
また、さらに、
多くのかたの、ご苦労のおかげで、
今の東京があるのだと、びっくり、
心が、ぶるぶる、ふるえます。



私は、空襲の焼け野原から、
16年たったあとに、東京に、生まれました。

けれども、
だれも、あのおそろしさや、
悲しみ、苦しみのことは、教えてくれませんでした。

小さい私には、なんでもが、楽しかったです。

入学式、といえば、
みんなよろこんで、お祝いしてくれましたし、
運動会といえば、
親戚の人が、来てくれて、応援してくれました。
のりまきの折り詰めを、作ってくれました。

そんなのが、あたりまえの毎日。
ちょっと前に、東京が、あんなにひどかったなんて、
だれも、言ってませんでした。

(戦後のはなしは、きいたことがあるのです。
でも、ちっとも深刻っぽくなかったのです)

今なら、それが、わかります。
そんなの、話す気にならないのが、わかります。

だから、
「いだてん」のおはなしは、
私にとっては、貴重です。

伝えてもらって、よかった。
今ある、ふつうのことの、
ありがたみが、よくわかります。

女性が、運動することが、
どんなにむずかしかったか、
どれほど、いろんな人のご苦労があったか。
それもよく、わかります。

それを思うと、
なかなか、ちょっと、重さと、深さに、
目がくらみそうになります。
今、ふつうに東京がある、ということが、
こりゃ、ただものではないんだ、と、
よくわかります。



こんなすごいドラマを作れる日本人を、誇りに思います。
こんなすばらしい才能と、ちからがある、なんて、
とっても誇りに思います。

きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2019年5月31日金曜日

三度の飯より好きなものを、失う



きのうは、フランスでは祝日でした。
毎年、必ずこの木曜日に、キリスト教のお祝いごとがある。

それはいいのですが、
木曜日というのは、
私にとって、大事なものがあります。
夕方、ボディジャムという、ダンス系のスポーツをするのです。
それが、おもしろくて、おもしろくて、
たまりません。
一時間、先生とメンバーと一緒に、
踊りまくります。
音楽も振り付けも、ヒップホップ系で、楽しい。

ということは、つまり、
その祝日のために、
このレッスンが一回、お休みになるということです。

三度の飯より好きなのくらいなのに、
それがなくなるということは、
ほんとに、がっかりするのです。



まるで、
なにかを、とられてしまったような気分になります。
そのことが、うらめしく、
何日も前から、考えていました。

おまけに、
運わるく、その次の週は、用事があって、
また木曜日にお休みをしなくてはならない。
2週もお休みするなんて、
もう、がっかりしますし、
体にも、わるそうです。
薬をきらしてしまったようなもんです。

ここまで、うらめしくなるのは、
ジムでも、私くらいしかいないと思います。
心の中では、
ため息ばかり、ついています。

ところが、
そのため息は、
さいごには、地団駄になったのです。
もっと最悪になったのです。



それはなぜかと言いますと。

その夕方、
うらめしい気持ちも、どっかにおいて、
少しは、ポジティブに考えようと、
いいことを、思いついたのです。
日本のテレビで、とっても好きな番組があって、
それを、ボディジャムのせいで見られないのを、
ゆっくり見ようとしたのです。

(グレーテルのかまどという番組です)

かれこれ、20分くらいして。

なんだか、
とつぜん、疑問がうかんできます。

「もしや、
ボディジャムが、行われてるのでは?」

という、疑問です。
そういえば、
よく考えてみれば。
私は、ジムに電話をしてたしかめたわけでもなく、
ただ、仲間たちと、
この次は、お休みね、と話していただけです。

おやおやおやおや?
まさか?

でも、
まぁ、祝日なんだから、
先生だってお休みしたいだろうから、
なんだか、かんだか、と考えて、
番組を見終わります。

いつもなら、
あともう少しでボディジャムが終わろうとしている時刻です。

さて。

疑惑は、まだのこっています。
なんだか、気になります。
だから、
その気がかりを、なくそう、と
部屋に上がって、
調べます。
ジムのアナウンスをひらいてみれば。。。

!!!

最悪です。
見ているものが信じられません。

「木曜日は、いつもどおりレッスンをします」
と書いてあります。
なんど読みなおしても、そうです。

えーっ!




しばらく前から、
ボディジャムがお休みなるのを、残念に思って、
私は、ちょっぴりつまらない気持ちで、時をすごして、

そして、
そのあとに、
それは、思いちがいだったと知って、
ほんとうなら、行けたのに、
行かずに、家で、ほかのことをしていて、

そのあと、
また、もっともっと、がっかりして、
一粒で、2度か3度、がっかりして、
ほんとに、つまらない。

もうこれ以上は、つまらない時間をつくりたくない、
なんとか、角度をかえてみて、このつまらなさからぬけだしたい、
と思いましたが、
それでも、私の心は、やっぱりがっかりしていて、
しかたありませんでした。

あとで、夜のニュースを見ましたら、
もっともっと、とりかえしのつかない話も、
出てきました。
それとくらべたら、
私の悩みは、たいしたことはありません。

でも、やっぱり、
3度の飯より好きなものを失う、というのは、
たいへんなことなんだと、
みとめてやることにしました。

きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。


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2019年5月27日月曜日

ぺんぺん、という音



さて、ごぶさたしておりました。

日本は、とても暑いそうです。
こちらは、といえば、
涼しいです。
もやか、霧が、かかっています。

ロワール川に散歩に行きますと、
なずなが、いっぱいはえていました。
しゃがんで見ると、
小さいとき、よく庭で遊んだ、
そういう目の角度になります。

ござをしいて、おままごとをする。
雑草を、菜っぱに見立てて、
それをきざんで、お味噌汁をつくる。
はこべだの、すずめのかたびらは、
いつでもどこにでもある、菜っぱです。

そんな、
しゃがんで、草をじろじろ見ていたときのことを、
思い出します。
土のにおいもします。
草の色が、くっきり、きれいに見えます。

きのう見たのは、
なずなでした。
ぺんぺん草といって、
三角になっている実のほうを、
ちょっと下にひっぱる。
全部、ひっぱって、だらんとさせる。

そして、でんでん太鼓のように、
両手にはさんで、くるくる回します。
それが、「ぺんぺん」という音なのだそうです。

私はまた、でんでん太鼓のように、
威勢のいい音が、でるのかと思って、
いっしょうけんめい、力強く回しますが、
出てくるのは、わりと小さな、ぱらぱら、という程度の音です。




まさか、
これで、小さい子をあやしていたのだろうか、と
貧しく、静かで清らかな生活を、想像してしまいます。

それにしても、
この音に注目するなんて、
なんて、静かだったのだろうと、思います。


音の大きさからいったら、
かなり、段差のある話にうつります。

きのうは、ヒップホップのダンスパーティーがありました。
自由に、みんなで輪をつくって、
自由に、踊りたい人が真ん中に出て、
即興で、一人でおどる、という形式です。

それは、初めてのときは、かなり勇気がいりましたし、
大して踊れないのに(技術がないのに)、
即興なんて、まぁ、恥ずかしかったです。
それに、輪になっていますから、
四方八方から、みなさんが見ている。
それでも、
先輩たちが、やさしく応援してくださったので、
とても助かりました。
暖かい気持ちでした。

今でも、恥ずかしいですが、
ずいぶん慣れてきました。
音楽に集中して、それを、そのまま表そうと思うと、
恥ずかしさどころか、
何もかんがえていない自分があります。
踊り終わってから、恥ずかしくなりますが、
ほんのちょっとだけです。

それに、
今は、
新しい方々がやってきます。
やはりみなさん、恥ずかしそうです。
まずは、ビールを飲んだり、
おしゃべりばっかりしたり、
なかなか、まん中にでません。
でも、かなり踊りたそうでもあります。

その感じ、わかるような気がします。
だから、私は応援する側にまわります。
あの恥ずかしい感じというのは、
ほんとに、いやなものです。
パーティのあと、夜中に目がさめて、
恥ずかしくなってしまったこともあるくらいです。

けれども、
いったん、それを抜けてしまうと、
いったいあれは何だったんだろうと、思うくらい、
どうでもいいことのようにも、思えます。

でも、私の場合は、
まだ、恥ずかしさと、恥ずかしくないときとが、
シマ模様のように、両方、あります。
まだまだ、です。
考えすぎると、絶対恥ずかしくなります。
あ、先生が見てる、何といわれるかな、と
思ったら、もうおしまいです。
輪の中に出て行けなくなります。

ですから、
なるべく、考えないようにしています。
こんな感じです。

きょうも、
読んでくださって、どうもありがとうございました。

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