2017年2月14日火曜日

もったいない、と思う



きょうは、外は雨と風。
こんな日は、
部屋にいるのが一番、と思ってしまいます。

ところで、
お風呂の工事のあいだ、2ヶ月くらいは、
別な部屋で、寝起きしていました。

必要なものだけ、紙袋に入れて、
別な部屋に移ると、
まるで、旅に出たような気分になりました。
別に、その部屋がホテルのようにステキというわけではありません。
ただ、ゴチャゴチャしたものがない、
というだけです。
気分は、すっきり、さっぱり!
たったそれだけのことで、豪華な感じです。
見るもの、感じるものが、
すべて新鮮に思えます。

ところが、
案の定。
そういう気分は、だんだん消えていきました。
どこからともなく、モノがわいてくるのです。

メモした紙、
読みかけの本、
ボタン、
書類など、
あとでやろう、と思った事の「モノ」たち、

そして、
何、とはっきり説明のしようのないモノ、
今、はっきり思い出せないようなモノたちが、
だんだんと、つもってきます。

2ヶ月もたつと、
また、その部屋は、いつものとおり、
「日常」におおわれて、
新鮮さも何もない、退屈な、
ただの、掃除すべき部屋、にもどってしまいます。

あまりにも、その差は、ひどかったです。
いったいどうしてそういう事になるのか、
ちょっと考えてみると。

だいたいの原因は、
どうやら、2つ目の、
その、何、とはっきり言えないようなモノたちで、
箱、とか、
ステキな包装紙、とか、
雑誌の切り抜き、とか、
紐、とか、
いただいた手紙、カード、とか、
おみやげ、とか、
ひろった石ころとか、

ありがたいとか、ステキと思ったものばかりです。
ちょっと捨てられないものばかりです。
でも、今、すぐには必要のないもの。
ムダなものばかりなのかもしれません。

私は、モノを大切にしましょう、と育てられました。
でも、
今は、モノが豊富です。
そんなに大切にしなくても、平気なはずです。

実際、娘たちを見ていると、
必要のないものは、かんたんに捨てていますし、
たとえば旅先で、もし小型石けんなどがサービスされても、
あまり持って帰りません。

だから、
昭和30年代生まれの私は、
モノをなかなか捨てられないのかもしれません。
あとで役に立つかもしれない、と思って、
とっておいてしまうのです。



工事は終わり、
また、いつもの部屋にもどってきました。
ホコリでかわいてしまった床には、ワックスをぬりました。
新鮮さたっぷりの、すっきりした部屋になりました。
旅に出たような、新鮮な気持ちになります。
そこへ、
必要品+がらくたを、また紙袋に入れて、もどってきて、

「あぁ、今回こそ、
このすっきり感を、保てたら!」
と、思うのですが。

でも、
私の心は言います。
ムダをまったくなくして生きて行けるかしら、と。

「もったいない」は、セコいけど、
「ムダ」はぜいたくのひとつ、と言います。

うーん、
だから、いつまでたっても、
がらくたは、私をおそうのです。
この、もったいない、ムダそうでムダではない、がらくたたち。
すっきりと、どこかへ収まってほしいです。

どなたか、何か解決法があったら、
ぜひ、教えていただきたいです。

きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。
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