2019年6月25日火曜日

日本人の才能と、ちから



6月も、終わりに近づいています。
ここフランス、ロワール沿いでは、
あと、いく日かで、
ものすごい暑さが、くるということです。

それが、
38度とか、39度とか。
サハラ砂漠から、あつい風がふいてくるのかもしれません。

暑さが苦手だから、ここに住みついたはずなのに、
このごろでは、
このあたりが、フランスで一番あつくなったりします。

どうしよう、
住む場所を、考えなおさなくては、
と、思います。



ところで、
日本のテレビを、フランスでも見られるようになりました。
私が楽しみに見ているのは、
大河ドラマ「いだてん」です。

オープニングを見たときから、
これは、ただものじゃないな、という感じがしていました。
見てみますと、それが、それが、
まぁ、すばらしい。

このすばらしさ、
言葉に、書けるかしら?

あまりに感動して、
私は、次の日、再放送をまた、見ることもあります。
細かいところまで、
まぁ、よくできているドラマです。
さら、っとみただけでは、
もったいないのです。

脚本が、おもしろい。
おはなしが、よく組み立てられて、おもしろい。
平面パズルと、立体パズルくらいの差があります。

俳優さん、それぞれの持ち味がよく出ている。
それぞれ、熱演。
言葉ひとつ、どれとっても、ムダがない。

深い。
やさしい。
おもしろおかしい。

こんなステキなドラマは、なかなか見たことがありません。

ビデオを買って、
何度も見たくなります。
でも、
やっぱり、これは、
一年かけて、じっくり見るからおもしろいのだと、思います。



人気が低くても、
これは、きっと国営だから、
こうやって、続けてもらえるのだと思うと、
あぁ、よかった、
と、胸をなでおろします。
こんなすごいものを、よく作ってくれたと、
ありがたく、思います。

それに、
私には、江戸っ子の血が流れています。
だから、江戸っ子の話しっぷりをきくのは、
気持ちがいい。

そして、
よく知らなかった、関東大震災のこと、
おどろき、
そのあと、がんばって東京をたてなおしてくださった、
大勢のかたがたの、ご苦労を、
ありがたく思います。

その20数年か、あとに、
また、空襲で、焼け野原になってしまったことを、
思いますと、
また、さらに、
多くのかたの、ご苦労のおかげで、
今の東京があるのだと、びっくり、
心が、ぶるぶる、ふるえます。



私は、空襲の焼け野原から、
16年たったあとに、東京に、生まれました。

けれども、
だれも、あのおそろしさや、
悲しみ、苦しみのことは、教えてくれませんでした。

小さい私には、なんでもが、楽しかったです。

入学式、といえば、
みんなよろこんで、お祝いしてくれましたし、
運動会といえば、
親戚の人が、来てくれて、応援してくれました。
のりまきの折り詰めを、作ってくれました。

そんなのが、あたりまえの毎日。
ちょっと前に、東京が、あんなにひどかったなんて、
だれも、言ってませんでした。

(戦後のはなしは、きいたことがあるのです。
でも、ちっとも深刻っぽくなかったのです)

今なら、それが、わかります。
そんなの、話す気にならないのが、わかります。

だから、
「いだてん」のおはなしは、
私にとっては、貴重です。

伝えてもらって、よかった。
今ある、ふつうのことの、
ありがたみが、よくわかります。

女性が、運動することが、
どんなにむずかしかったか、
どれほど、いろんな人のご苦労があったか。
それもよく、わかります。

それを思うと、
なかなか、ちょっと、重さと、深さに、
目がくらみそうになります。
今、ふつうに東京がある、ということが、
こりゃ、ただものではないんだ、と、
よくわかります。



こんなすごいドラマを作れる日本人を、誇りに思います。
こんなすばらしい才能と、ちからがある、なんて、
とっても誇りに思います。

きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2019年5月31日金曜日

三度の飯より好きなものを、失う



きのうは、フランスでは祝日でした。
毎年、必ずこの木曜日に、キリスト教のお祝いごとがある。

それはいいのですが、
木曜日というのは、
私にとって、大事なものがあります。
夕方、ボディジャムという、ダンス系のスポーツをするのです。
それが、おもしろくて、おもしろくて、
たまりません。
一時間、先生とメンバーと一緒に、
踊りまくります。
音楽も振り付けも、ヒップホップ系で、楽しい。

ということは、つまり、
その祝日のために、
このレッスンが一回、お休みになるということです。

三度の飯より好きなのくらいなのに、
それがなくなるということは、
ほんとに、がっかりするのです。



まるで、
なにかを、とられてしまったような気分になります。
そのことが、うらめしく、
何日も前から、考えていました。

おまけに、
運わるく、その次の週は、用事があって、
また木曜日にお休みをしなくてはならない。
2週もお休みするなんて、
もう、がっかりしますし、
体にも、わるそうです。
薬をきらしてしまったようなもんです。

ここまで、うらめしくなるのは、
ジムでも、私くらいしかいないと思います。
心の中では、
ため息ばかり、ついています。

ところが、
そのため息は、
さいごには、地団駄になったのです。
もっと最悪になったのです。



それはなぜかと言いますと。

その夕方、
うらめしい気持ちも、どっかにおいて、
少しは、ポジティブに考えようと、
いいことを、思いついたのです。
日本のテレビで、とっても好きな番組があって、
それを、ボディジャムのせいで見られないのを、
ゆっくり見ようとしたのです。

(グレーテルのかまどという番組です)

かれこれ、20分くらいして。

なんだか、
とつぜん、疑問がうかんできます。

「もしや、
ボディジャムが、行われてるのでは?」

という、疑問です。
そういえば、
よく考えてみれば。
私は、ジムに電話をしてたしかめたわけでもなく、
ただ、仲間たちと、
この次は、お休みね、と話していただけです。

おやおやおやおや?
まさか?

でも、
まぁ、祝日なんだから、
先生だってお休みしたいだろうから、
なんだか、かんだか、と考えて、
番組を見終わります。

いつもなら、
あともう少しでボディジャムが終わろうとしている時刻です。

さて。

疑惑は、まだのこっています。
なんだか、気になります。
だから、
その気がかりを、なくそう、と
部屋に上がって、
調べます。
ジムのアナウンスをひらいてみれば。。。

!!!

最悪です。
見ているものが信じられません。

「木曜日は、いつもどおりレッスンをします」
と書いてあります。
なんど読みなおしても、そうです。

えーっ!




しばらく前から、
ボディジャムがお休みなるのを、残念に思って、
私は、ちょっぴりつまらない気持ちで、時をすごして、

そして、
そのあとに、
それは、思いちがいだったと知って、
ほんとうなら、行けたのに、
行かずに、家で、ほかのことをしていて、

そのあと、
また、もっともっと、がっかりして、
一粒で、2度か3度、がっかりして、
ほんとに、つまらない。

もうこれ以上は、つまらない時間をつくりたくない、
なんとか、角度をかえてみて、このつまらなさからぬけだしたい、
と思いましたが、
それでも、私の心は、やっぱりがっかりしていて、
しかたありませんでした。

あとで、夜のニュースを見ましたら、
もっともっと、とりかえしのつかない話も、
出てきました。
それとくらべたら、
私の悩みは、たいしたことはありません。

でも、やっぱり、
3度の飯より好きなものを失う、というのは、
たいへんなことなんだと、
みとめてやることにしました。

きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。


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2019年5月27日月曜日

ぺんぺん、という音



さて、ごぶさたしておりました。

日本は、とても暑いそうです。
こちらは、といえば、
涼しいです。
もやか、霧が、かかっています。

ロワール川に散歩に行きますと、
なずなが、いっぱいはえていました。
しゃがんで見ると、
小さいとき、よく庭で遊んだ、
そういう目の角度になります。

ござをしいて、おままごとをする。
雑草を、菜っぱに見立てて、
それをきざんで、お味噌汁をつくる。
はこべだの、すずめのかたびらは、
いつでもどこにでもある、菜っぱです。

そんな、
しゃがんで、草をじろじろ見ていたときのことを、
思い出します。
土のにおいもします。
草の色が、くっきり、きれいに見えます。

きのう見たのは、
なずなでした。
ぺんぺん草といって、
三角になっている実のほうを、
ちょっと下にひっぱる。
全部、ひっぱって、だらんとさせる。

そして、でんでん太鼓のように、
両手にはさんで、くるくる回します。
それが、「ぺんぺん」という音なのだそうです。

私はまた、でんでん太鼓のように、
威勢のいい音が、でるのかと思って、
いっしょうけんめい、力強く回しますが、
出てくるのは、わりと小さな、ぱらぱら、という程度の音です。




まさか、
これで、小さい子をあやしていたのだろうか、と
貧しく、静かで清らかな生活を、想像してしまいます。

それにしても、
この音に注目するなんて、
なんて、静かだったのだろうと、思います。


音の大きさからいったら、
かなり、段差のある話にうつります。

きのうは、ヒップホップのダンスパーティーがありました。
自由に、みんなで輪をつくって、
自由に、踊りたい人が真ん中に出て、
即興で、一人でおどる、という形式です。

それは、初めてのときは、かなり勇気がいりましたし、
大して踊れないのに(技術がないのに)、
即興なんて、まぁ、恥ずかしかったです。
それに、輪になっていますから、
四方八方から、みなさんが見ている。
それでも、
先輩たちが、やさしく応援してくださったので、
とても助かりました。
暖かい気持ちでした。

今でも、恥ずかしいですが、
ずいぶん慣れてきました。
音楽に集中して、それを、そのまま表そうと思うと、
恥ずかしさどころか、
何もかんがえていない自分があります。
踊り終わってから、恥ずかしくなりますが、
ほんのちょっとだけです。

それに、
今は、
新しい方々がやってきます。
やはりみなさん、恥ずかしそうです。
まずは、ビールを飲んだり、
おしゃべりばっかりしたり、
なかなか、まん中にでません。
でも、かなり踊りたそうでもあります。

その感じ、わかるような気がします。
だから、私は応援する側にまわります。
あの恥ずかしい感じというのは、
ほんとに、いやなものです。
パーティのあと、夜中に目がさめて、
恥ずかしくなってしまったこともあるくらいです。

けれども、
いったん、それを抜けてしまうと、
いったいあれは何だったんだろうと、思うくらい、
どうでもいいことのようにも、思えます。

でも、私の場合は、
まだ、恥ずかしさと、恥ずかしくないときとが、
シマ模様のように、両方、あります。
まだまだ、です。
考えすぎると、絶対恥ずかしくなります。
あ、先生が見てる、何といわれるかな、と
思ったら、もうおしまいです。
輪の中に出て行けなくなります。

ですから、
なるべく、考えないようにしています。
こんな感じです。

きょうも、
読んでくださって、どうもありがとうございました。

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2018年9月24日月曜日

ちょっとがっかりの、キンモクセイ

さきほど、名前がわかりました!下に追加しました。
先日、
ふつうの民家のあるあたりを歩いていましたら、
とてもいい香りがしてきました。
女性の香水に似ていますが、
その、さっぱりした高貴さは、
ちょっと人工のものとは、思えません。

鼻をクンクンさせながら、
へいからとびだしている草木を、じろじろ見ます。
すると、
まさか、と思うようなジミな木が、
その香りの主、ということがわかりました。

日本では、
私はキンモクセイが、大好きです。
そのキンモクセイの色違い、といいたくなるような、
色柄です。
銀モクセイと言いたいです。

写真にとって、
家で調べてみましたが、
見つかりません。
銀モクセイでは、ありませんでした。
草木にくわしい人に、たずねてみようと思います。



ものすごく、
はれやかな気持ちになる香りです。
まるで、
研究に研究をかさねて、できあがった香水のようです。
それが、
こんなに、何げない姿の花の、なのです。

だれも、この花のことで、
さわぐ人もいません。
これをマネした香水も、ないかもしれません。
「ああ、○○の季節になったねぇ」
なんていう声も、きいたことありません。

実を言いますと、
いつか、千葉の鵜原海岸というところに行ったとき、
やはり、こんな花を見たのです。
たぶん、それと同じです。
その時、たしか名を調べて、わかったはずなのに、
どうも、思い出せません。

そして、
たぶん、そのとき、
そこいらに落ちていた、小さな実を、ひろってきたのです。
私は、種をとっては、
それをまいて、はやすのが好きです。
今年、ためてあった種を、なんだかわからずに、
いっぺんに、まきました。
そのせいか、
この、ジミな木も、はえてきたような気がするのです。

もしかすると、
この夏はえてきた、あの小さな木は、
この名のわからない木の、「子ども」かもしれない。



キンモクセイといえば、
大きな声ではいえませんが、
去年、日本から苗を持って帰ったのです。
それが、ずいぶん元気に、大きくなりました。
そして、先週、花が咲きました。
楽しみにしていた花です。
ですが、
ちょっぴり、がっかりしたことがあります。

東京では、
秋のはじめに、雨などふって、
あのキンモクセイの花がこぼれ、道路にオレンジの淡い色をだすと、
とても、ステキな香りになります。
薄ら寒くて、秋の寂しい気持ちがあったりしても、
なんだか、すこし、楽しくなるような香りです。

それが、
ここロワール地方の、夏の終わりの、カラッとした空気に、
キンモクセイの香りがしますと、
ちょっと、ちがう種類のようにも思えます。
人工の、アプリコットの香料のようです。

いっしょうけんめい、
水をかけて、
湿り気をだしてみましたが、
日本の秋のふんいきとは、
ちょっと、ほど遠い感じでした。


その点、
オシロイバナは、
とてもいい香りです。
夕方、とくに。
なつかしい、日本の夏を、思い出します。

これも、種をどこかからいただいてきたものです。
でも、
オシロイバナは、フランスにもありますから、
これは、日本のだったか、フランスのだったか、
わからなくなりました。




きのうは、秋分。
ずいぶん涼しくなりました。
けさは、厚手のセーターを着ました。
みなさまも、
季節の変わりめ、お体大切になさってください。

読んでくださって、どうもありがとうございました。

追記

草木にくわしい方が、さっそく教えてくださいました。
よび名は、Chalef de Ebbing
学名 Eléagnus ebbingéi 
ヤナギバグミの一種ということです。

説明をみますと、
ジャスミンの香り、とあります。
私は、ユリの香りに似ていると思っていましたが、
たしかに、ジャスミンの香りにも似ています。
それより、やや甘い感じがします。



Arbuste épineux de 2-3 m de haut, capable d'atteindre 6 m, sur 2 de large.
Feuillage coriace, persistant, vert foncé à reflets gris sur le dessus, au revers argenté, de 5 à 10 cm de long.
Fleurs en clochettes crème, au parfum de jasmin, en septembre-octobre, mellifères.
Fruits rouges comestibles en fin d'hiver.
Obtention hollandaise très courante : hybride entre Elaeagnus macrophylla et pungens.
Croissance rapide.
Tolère toutes les expositions, les embruns.
Craint les fortes gelées à l'état jeune. Résiste à -20 °C.
Plante de haie facile, idéale en bord de mer, en isolé, en topiaire, palissée…

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2018年9月21日金曜日

ストレスフルな新学期



この夏は、
広くて大きい海を見てきました。
何もない、人も少ない、バカンスでした。
そのせいか、9月の新学期は、
ことさら、ごちゃごちゃした感じがしました。

仕事のことで、話し合う、というのが、
とても、まどろっこしく思います。
心のすみでは、

「船の上だったら、
こんなの、さささっと、話が通じて、
一分くらいで解決してしまうのになぁ」

と、思ってしまいます。

また、船の話にもどりますが、
船の上では、
あまりダラダラと話をしません。
雑談をしている時は、別として、
なんでもが、
一回言えば、それで、すみます。
そして、解決法があれば、
10分後には、もう、そのとおりになっています。
いつ沈むか、わからないような所にいると、
そういうふうに、なるのだそうです。

船の切符を買うときだって、
そうです。
電話でも、メールでも、
短いです。
でも、要は得ています。
はじめのうちは、なんとなく冷たい感じがします。
でも、
ちゃんと話は通じているのです。
たぶん、気持ちだって、通じていることが多い。

私は、
仕事は、そういう方が、いいのです。



会議で、みなさんが、話をしているのを見ていると、
実に、長い説明があります。
だらだらしているように、私には、見えます。
そして、関係ないことや、
おせっかいなことを質問してくる人もいます。

すると私は、
まじめに、それに答えてしまうこともあります。
あとで、

「あぁ、あんな関係ないこと。
なんとか、ムシできなかったのかしら」

と、後悔します。
答えたからといって、
別に損をしたわけでもありませんが、
家に帰ってきてから、

あれは、どういう意味で言ったのかしら、
なんだか、ヒナンされてるような気もするし、などと、
考えが頭の中に残ってしまいます。

この次からは、
なんとかスルーしたいものだ、と
思います。



ところで、
先日、オランダに行ってきました。
昔、お世話になった方々に、
しばらくぶりに会えました。

オランダは、家並みがステキです。
茅葺きだったり、
窓が、とてつもなく大きかったり。
なんとなく、昭和の、日本の家とも似ているように、
思います。
親しみを、もってしまいます。

友人の息子さんが、
亡くなったおとうさんと、そっくりになっていました。
白髪になって、
お腹も、貫禄でした。

私は、その、亡くなったおとうさんのことが、
大好きでしたので、
とても、うれしく思いました。
なんだか、今も、そこにいてくれるような、
そんな感じでした。
そうか、命はほろびないのかもしれない、と
思ってしまいました。



私の好物の、ニシンをたっぷり、いただきました。
それから、おみやげに、
お庭のスズランを、いただきました。
それを掘るときのスコップを見て、
私は、
「あ」と思いました。

小さいときに見た、
ブルーナのうさこちゃんです。
「うさこちゃんとうみ」
スコップの柄が、
日本人の私には、ふしぎな形をしていました。
それと、同じでした。


きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。

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2018年9月5日水曜日

いつもいい天気とはかぎらない(貨物船の旅)


きょうは、船酔いについて、書きます。

実は、
私は、はじめ、それが心配でした。
ですので、
2年前、はじめて船に乗ったときは、
もしアウトなら、すぐおりられるように、と、
しょっちゅう寄港するルートをえらびました。

結果は、
だいじょうぶでした。
むしろ、
ゆらゆらと、ゆられているのが心地よく、
眠るにも、ちょうどいい、という感想でした。
もう少し、荒れた海をみてみたい、などと、
おそれおおいことを、考えたりしました。

今年乗った船は、
フロリダ号といいますが、
300メートルと、長いわりに、
幅が30メートルちょっと、という細長い船でした。
ということは、縮小してみれば、
30センチの、ものさしのような格好に、なります。
実に細い感じです。

そのせいでか、
横ゆれが、多い船でした。

横ゆれは、ローリングといいます。
たまに、
あ、ローリングがきたきた、と、
私は、心の中で、様子を見まもります。

ローリングの中で、
ピンポンをやりたいとも、ふだんから思っていましたので、
それが実現したときは、
ちょっと、得意な気持ちになりました。

私は、もともとピンポンがへたですから、
いったい、それは、
腕があがったのか、
ローリングのせいでミスをしたのか、
ローリングのせいで、よく打ててしまったのか、
区別がよくつきません。
なかなか、できない、めずらしい体験です。


ある朝、
のんきに起きますと、
なんだか、ゆれが、激しいようです。
夫は、もうずっと前から起きていて、
一番上の、ブリッジ(操舵室)で様子をみていたそうです。

その話によれば、明け方は、
ものすごい荒れだったそうです。
船乗りさんたちも、ずいぶん、
のぼってきては、様子を見に来たそうです。
船酔いにかかってしまった人もいるとのこと。

なるほど、
朝ごはんにおりますと、
だれもいません。
私は、どうしてもごはんを食べとかなきゃ、と思ったのです。
こういうとき、
おなかが空っぽ、というのは、よくないということです。

お勝手をのぞくと、給仕さんは、
大きなため息をついて、
身ぶるいしてから、
ごはんを運んできてくれました。
なんだか、具合よくないみたいです。

プロの船乗りさんでも、船酔いはするのです。
そういう時に、おさんどんをするのは、
ずいぶん、つらいだろうと思います。



↑ (今でも、こういう写真をみつめていると、だんだん
ナマツバがでてきて、船酔いしそうになります)

私は、持ってきた梅干しと、
お水を飲み、
絵を描いて、集中していれば、
気も散るかもしれないと、なんとなく、すごしていました。

お昼は、テーブルについたとき、
給仕さんが、
おなかのあたりを、さすりながら、
「マーム、大丈夫ですか?」
と、心配してくれます。

「ええ、大丈夫です、
でも、お肉は、半分にしときます」

そういえば、
あまり食欲ありません。

午後になっても、
ゆれは、続きます。
はじめは、なんだか、ゆかい、なんて思っていましたが、
だんだん、
腰がつかれてきます。
すわっていても、
前、うしろ、前、うしろ、という運動を、
つづけているのです。

だんだん、絵の具をまぜるのも、
むずかしくなってきます。
筆だって、あてずっぽうのほうに、いっちゃいます。

さすがに、梅干しを食べても、
気分がすっきりしなくなってきます。
しかたなく、ベッドに横になる。
すると、ずいぶんラクになって、
そういえば、
さっきの、階段をのぼるときは、
すごかったなぁ、と思い出したりします。
足をあげなくても、足がかってに、のぼってしまう。
船のゆれが、からだを、グインと、
押し上げてくれちゃうのです。

私は横になって、
目をつぶっていられますが、
お仕事の人たちは、
大変だろうな、と思います。
じっと、一点をみつめたり、
本を読もうとすると、
とたんに、気分がワルくなります。




荒海を見てみたい、なんていう気持ちは、
もう、どこかへ消えてしまいます。
もう、いいかげんに、もとの海にもどっておくれ、と
言いたくなります。

さいわい、午後のおわりには、
少しずつ、おさまってくる気配でしたので、
ピンポンをしに行きました。
だいたい、夕方には、スポーツジムに行くことが多いです。
まだまだ、ローリングも、
また、ピッチング(たてゆれ)もあります。
こうなると、複雑です。
玉も、あさって、しあさっての方に、いきます。

それを追っているうちに、
なんとなく、気分もふつうに戻りました。
夕ごはんは、すっきり、いただけました。

船長さんに、
ピンポンをしたら、
よくなかった気分が、なおってしまいました、と、
伝えますと、笑って、
「そう、そういうこと、よくあります」とおっしゃってました。



船乗りさんに、
ゆれとか、船酔いのことをきいても、
およそ、
かゆいところに手の届く答えは、ありません。

たとえば、このゆれ、
これは、「荒れた海」のはんちゅうに入るんですか?
ときけば、
「なぁに、こんなの、
ちゃらちゃらですよ(a piece of cake!)」とか、

酔うことは、ありますか、とたずねても、
答えはなく、
「機関部の、だれそれは、ものすごく酔う。
かわいそうなくらい」とか。

でも、
機関部の、当の本人と話しても、
そんな話は、きかれません。
「ゆれるときは、仕事に集中してると、
すぐ、なんとかなる」と言ってらっしゃる。

私は、思います。
船乗りさんだって、人間だから、
やっぱり、酔うのだろうと思います。
でも、
「はい、ぼくは、船酔いします」と、
言わないところが、
なんだか、とってもカッコいい、と
私は思います。

さて、
私は、よく、ブリッジにのぼって、
海図(チャート)を見せてもらいました。
今、自分はどこにいるのか。
海の深さは、どのくらいなのか。
ええっ、5000m?
いったいどんな動物がいるのだろう、などなど。

そして、世界地図もながめて、
船乗りさんたちに、
どこの海で、どういう季節に、海が荒れるのかも、
教えてもらったりしました。
実は、この先、いつになるかわかりませんが、
フランスから日本の方に、船でいってみようと計画しています。

日本のそばには、
荒れる海が、多いようです。


ところで、
私は、お茶が好きです。
旅行には、かならず、湯沸かしや、マグカップを持っていきます。
船では、食事が中華でしたので、
食後にお茶が出るかと思っていましたら、
出ません。
みなさん、お茶を飲まれないのかしら、と、
ふしぎに思っていましたところ、

しばらくして、
みなさん、キャビンで、
本格的に、お茶を入れてらっしゃるということが、
わかりました。
そして、
私たちにも、とてもおいしいお茶をひとつかみ、くださったりしました。
ブリッジ(操舵室)にのぼれば、
必ずお茶をいれてくださる士官さんもありました。
とびっきりおいしい、紅茶です。

それが、一杯ではなくて、
かならず、2杯!
できたら、3杯入れてくれそうになります。
それが、なんだか、
なるべく、長いこと、ここにいてください、
と言ってくださってるような気が、
私は、します。

船長さんは、ブリッジにのぼると、
大きなガラスのコップに、
緑茶をたっぷり入れて、お湯を注ぐ。
そうして、しばらくほっておくと、
だんだん、葉っぱがひらいてきます。
すきとおったコップに、それがよく見えます。
とても、きれいです。
そういうお茶を、飲んでらっしゃいました。
印象的でした。

きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。

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2018年9月3日月曜日

目の錯覚(貨物船の旅)


↑ (夕食後のひととき。ライトが気になって、調節をはじめる士官さん。その姿が、なんとも優雅です)


きのうは、
貨物船から見える、星空のことを書きました。

空といえば、
一番つまらないのが、

1)午後の、雲一つない青い空と、
2)霧がかかって、数メートル先も見えないとき、

です。

1)は、
ただ、ひたすら、じりじりと、
お日さまに、焼かれますし、
まぶしくて、目の奥がやられそうになります。
景色も、はっきり、すっぱりとしていて、
なんのミステリーも、
奥ゆかしさもありません。

でも、
たとえば、飛び魚が見える、とか、
くじら、イルカのたぐいが、見える、などの
特典があるので、
次の2)よりは、ぜんぜん、いいです。

2)は、
天気がよくても、霧にまとわれることもあります。
そういうときは、
まるで、明るい綿あめに包まれたようです。
すぐその先には、お日さまがあるとわかっているのです。
ですが、
見えるのは、自分の乗っている建物と、
ぼやっとした、霧だけ。
これだったら、
遊園地の船に乗ってたって、
同じことです。

ヨーロッパを出て、
いざ、大西洋に、とふみだした時、
ちょっと、そういう天気がつづいたのです。
そのときは、ちょっぴり、焦りました。
士官さんにきいても、
天気のことだけは、わかるわけはなく、
偉い船長さんだって、天気を決めるわけにいきません。
しかたなく、あるとき、

「アメリカまで、毎日こんな調子だったら、
どうしよう」と、
ためしに、言ってみました。

どういう答えがかえってくるかと、
内心、はらはらしていると、

「いや、そんなことは、ないですよ。
ありえない」

という答えでした。
ほっとしました。
そして、それは、ほんとうでした。


話がそれましたが、

古い港、アントワープを出たときのことを書きます。
出港は、ま夜中の予定でしたので、
いったん、ちょっと眠ってから、めざましで、
起きました。

それが、なんとも、きれいなのです。
停泊中の船も、港も、あちこち、あかりがいっぱい!
クリスマスのイルミネーションのようです。

写真なら、ここにいくつかありますが、
そこにはあらわせない、重要なこと、というのがあります。
それは、
そのきれいな景色が「ゆっくり動いていく」ということです。
その楽しさ、といったら!

電車や、車の速さではありません。
びゅんびゅん動くのではないのです。
船から見る景色は、
それはそれは優雅に、ていねいに、
ゆっくりと、堂々と、うつりかわっていくのです。









あまりに、きれいなので、
私は、心の中で、はしゃいでしまいます。
双眼鏡をだしてきて、
そのきれいな光を見る。
なんて、きれいなんだろう、
もっともっと、近くで見てみたい、と。

すると、
なんのことはないのです。
それは、
ただのビルで、その非常階段のあかりだったり、
日中に見たら、つまらない、ただの倉庫だったり、
道路をてらす、ただの電球だったりします。

現実というのは、そんなものかな、と
がっかりします。
昼間に見たら、この、お祭りのようなふんいきは、
ないはずです。
パーティの次の日の、
なんだか、がっかりしたような、
そんなことを思い出してしまいます。



ということがわかったので、
双眼鏡は、やめて、
この古い、大きな港を行き交う、
たくさんの船や、
停泊中の船を見て、
眠いのもがまんして、見とれていました。

ところで、前回、星のことを書きました。
船から見る星は、すごい、ということです。
そのとき、

陸にもどったって、
昼間だって、
これほどの星は、いつもそこにあるのだな、と
思いました。

ひるま、
さっきの、1)の、
青くて、
プラスチックのような色をしている空には、
なにもないようですが、
実は、星がたくさん、いるはずです。
そのことを、
私は、すぐ忘れてしまいます。

つまり、
霧に包まれた、つまらない景色と同じで、
晴れの日だって、
私の目は、お日さまに目がくらんで、
星が見えなくなってる、ということになります。

あの大きく、深い星空は、
いつでも、どこにでも、
ある、ということです!



↑ 船の先頭の、しずかな場所です。

ところで、話はかわりますが、
飛行機とくらべて、船旅では、
時差ぼけは、ありませんでした。
そのゆったりさ、は、
私は、ラクでいいな、と思います。

船の上では、ゆっくり、ゆっくり、
時計の針を、おくらせていきます。
大西洋に出てからは、
ほぼ一日おきに、
夕食どき6時きっかりに、アナウンスがあります。
「シップスクロックは、今夜、1時間おくれます」

船じゅうの、掛け時計は、
電波だかどうかわかりませんが、
自動で、全部いっせいに変わります。
私は、ごはんの時間をのがすことがないように、と、
忘れずに、うでどけいを、なおします。

細かいことをいいますと、
ブリッジで見張りをしている士官さんたちは、
4時間おきで、交代です。
とくに夜中は、つらい仕事だと思います。
そのとき、
運悪く、4時間が5時間になっちゃう人が、
出るのではないかと、私は心配になってしまいました。

ですが、
そのことをたずねてみたら、
行きに5時間になった人は、
帰りに3時間になるので、だいじょうぶ、ということでした。
あぁ、よかった、と思いましたが、
私は、なんで、こういうよけいな心配をするのだろう、とも、
思いました。

アメリカに着いたときは、
疲れもなにもなく、
ゆったりと、ふつうに、新世界の陸を、ふみました。
飛行機の旅とくらべて、
これは、いい、と思います。

きょうは、このへんにします。

読んでくださって、どうもありがとうございました。


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