2018年5月23日水曜日

モンペリエの町には、おもしろいものがある


カメラの中には、
先日行った、モンペリエの写真が、はいっています。
けさは、それをアップします。

モンペリエの町をぼんやり歩いていると、
いろいろな、おもしろいもの、こと、に出会います。
たとえば、こんな貼り絵。

積み木には、FUTURと書いてあります。
下からよく見ると、
たしか、

サイコロ、
本、
ボール、
テレビ、
ギターを弾く、お人形さん、
レコード、
スケートボード、
そして、お兄ちゃん、
積み木。

そんなたくさんの物の上で、
お兄さんが、バランスをとっています。

すっかり見とれて、
長いこと、見てしまいました。


たまに、トッピョウシもなく、
こんなものが、
壁から飛び出しているのは、楽しいです。


ゴミ箱シリーズも、おもしろくてたまりません。
色や、顔つきが、
なんとなく、インドっぽいと思ってしまいます。

それから、
ちょっと足をのばして、
セットという港町に行った時。

まぁ、
たくさんのアーチストがいらっしゃるなぁと、
感心しながら、
歩きました。
きょうも、訪ねてきてくださって、
どうもありがとうございました。

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2018年5月22日火曜日

ちょっと、さびしい



またまた、ごぶさたしてしまいました。

とりたてて、書くことがなかったです。
とはいうものの、
何もおこらなかったかというと、
心の中では、
いろいろな気持ちが、
わいたり、消えたり、またやってきたり。

それは、空の雲を見ているようです。
それは、すぐに変化してしまいます。
それを書きとめるのは、
なかなか、むずかしいです。



このごろ、
ちょっと、悲しい、と思うこともあります。
それは、大事な友人が、
だんだん年をとって、いなくなったり、
体をわるくしたり、ということです。

だから、数もへってきます。
それは、さびしいです。
私は、そのことに、先日やっと気がつきました。
なんで、昔はにぎやかだったのに、
今は、こんなに静かで、さびしいのだろう、と
思ったのです。

そうでない方もあるのかもしれません。



もっとも、
趣味で、ダンスをやっていたりすると、
新しい人と、知り合ったりはします。
若い人たちと、おしゃべりするのは、楽しい。

それでも、
昔のことを知っているお仲間は、
ちょっとちがうのです。
安心して、「ただいま〜」という気持ちになれるのです。



ところで、先日、
中華屋さんのテラスで、
夕飯をいただきました。
主のおじさんは、昔、東京で働いてたこともあって、
日本語をちょっと話します。
私より、ちょっと年上のおじさん。
あと数ヶ月で、店をたたむということです。

「もう、肩が痛くて。
くたびれちゃった」

なんだか、これも、さびしいです。

なにげなく、空を見上げたら、
看板が、まぁ古い電話番号をのせていました。
今は、8けたの数字なのに、
6けたしか、ありません。
もう、たぶん、40年くらい前のはなしです。

この看板も、なくなるのかしら。
おじさんとおしゃべりもできなくなるし、
おいしいタイ料理も、食べられなくなるなぁ、
この先、どうしよう、

なんて、思いながら、

ああ、時はすぎてるなぁ、
ちょっと、小走りしなくちゃ、ついてけない、
と、そんな気持ちになりました。




きょうも、読んでくださってどうもありがとうございました。
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2018年5月10日木曜日

ノルマンディーで、タラソテラピー


あまり、大きな声では言えませんが、
今回、海辺のお宿に、
炊飯器を持ってきました。

毎回、ノルマンディーに来ると、
海の幸を、いただきます。
魚屋さんで、
カニだの伊勢エビを、ゆでてもらって、お宿で、いただくのです。

パンをそえて、一緒にいただくのです。

さて、今回は、
炊飯器を持ってきました。
これは、去年、日本へ里帰りした時に、手に入れたのです。
フランスの、いまいちのお米でも、
日本の炊飯器で炊けば、
かなりおいしくなる、と、ある人が、
教えてくれたからです。

私は、もともと、フランスのお米を、
おいしいと思っていたので、
あまり、変わりありませんでした。が、
その、コンパクトで、長方形の、かわいらしい形を見ているうちに、
なんとなく、
これは、トランクに入れやすい、と思ってしまいました。

それで、きのうは、魚屋さんで、
スズキを一匹、おろしてもらいました。

そして、
トランクに詰めて持ってきた、炊飯器で、ご飯をプログラミングします。
そして、夕ごはんは、
ワサビじょうゆで、スズキのお刺身!
ホカホカの、ご飯!
おみそ汁!

というのを、お宿のお部屋で、いただくのです。

魚屋さんで、
そのスズキ、生で食べられますか?と、尋ねた時、
お姉さんが、

ギョッとして、
「ええっ?」と、口ごもったので、
「あ、これは、イキが良くないのかな」と不安になりました。
が、すぐに、お店の主人が、
「大丈夫だよ」と、言ってくれたので、おろしてもらったのです。

イキが良くないのではなくて、
このお姉さんは、きっと生で食べたことがないのだと、私は想像しました。

こんなに上手に、三枚におろせて、
皮もむけるのに、
好奇心で、ちょびっと、
つまみ食いをしたこともないのかしら、と、
ふしぎに、思いました。

夫が言うには、
ここノルマンディは、
バターやクリームをたっぷり使う伝統があるから、
たぶん、スズキだって、
クリームソースでいただくんだろうね、ということです。

なるほど。

それに、
ワサビや、お醤油がなくては、
せっかくの脂ののったお刺身でも、
味が引き出せないかもしれない、と
あらためて、思いました。


けさは、風が強いです。
きのうも、おとといも、冷たい海につかりましたが、
きょうは、寒そうなので、行かないかもしれません。

ちょっとでも無理をして、冷たい海に入っていくと、
しだいに、体の芯から、あったかさが湧いてきて、
慣れてくるのです。
いったん慣れてしまえば、こっちのものです。
しばらくは、海と遊べます。
波にゆられたり、
波に、ざぶんと、やられたり。

そして、
海の幸を、あったかいご飯と、いただく。
これが、
私の、タラソテラピー(海セラピー?)です。

きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2018年5月9日水曜日

ノルマンディー海岸で、泳ぐ


今、ノルマンディー海岸に来ています。
お休みの日が多い、五月。
私は、すっかりバカンス気分です。

おとといなどは、30度近くまで気温が上がりました。
これは、ちょっと、暑すぎです。
頭がクラクラしました。

それで、
ここカブールに着くなり、
私は、海水浴をしました。
水は、冷たかったです。
でも、やはり、海に入るのは、
私にとっての、大きな、ぜいたく!
からだ全部で、大喜びしました。


私は、こんなふうに海に来るたび、
日本の海を思い出します。

育った東京は、港ですし、
品川駅のホームは、
海の香りがする時もありましたし、
横浜港は、小学校の、写生会の行き先ですし、
春になれば、父が、新聞を見張って、
大潮をめざして、千葉富津に、
潮干狩りに連れて行ってくれました。

と、
こういう、生いたちでしたので、
海は、ふるさとのようなものです。
フランスにいても、
やっぱり、海に来れば、
ああ、ただいま、というような気持ちになります。


それに、私の祖父は、船乗りでした。
海で、亡くなって、
私は会ったこともないです。
ですが、海に来ると、
その、会ったこともない、おじいちゃんと、話しをしている気分になります。

きのうも、
冷たい海につかって、
遠浅の、小さな波と、遊んでいると、
なんだか、おじいちゃんと会話してるような気がしました。

「どんどん、遊びな」
「そうそう、そんなふうにね」


あと、2、3日ほど、
海辺で、ゆっくりします。

みなさん、どうぞ、お元気でおすごしください。
きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2018年4月22日日曜日

なんと言ったらいいのか


しばらく、しつこく、
雨つづきの、花冷えの毎日でした。
それが、急に、
夏の陽気になりました。

先日まで、
暖房をつけていたと思ったら、
電車の中では、冷房がはいりました。
ほんとうは、
暖房も、冷房もなく、
ただ窓をあけて、
あぁ、いい風、と、空気を味わいたいのです。

それが、
きょうは、昼でも雨戸を閉めて、
暑さが家の中に入らないようにしています。



ところで、
このごろ、ブログの筆が、なかなか進みませんでした。

なんと言ったらいいのか、
この近所のみなさんに、変化があって、
なんとなく、さびしいです。

体をわるくされた方、数人。
そのせいで、家を売られる方。
年をとられて、元気がない方。
なんだか、
このまわりには、あまりよくない「気」が、
あるみたいな気がします。
厄払いをしたくなります。

この私は、ものすごく元気なのです。
それどころか、
銀行を変える、とか
電子書籍を楽しむ、とか、
新しいことをエンジョイしているのです。

けれど、
一歩、家を出ると、
屋根のむこうの、
マルチンヌのことが、気になります。
窓をあければ、
フレデリックのことが、気になります。
同じ近所の空気をすっているのに、
見る世界は、きっとちがうのだろうと、
思ってしまいます。

ついこないだまで、
一緒に食事をしたり、
遊びに行ったりしてたのに。

アランは大丈夫か。
ミッシェルは、このごろ見ないけど。



電子書籍を手に入れてからは、
浅田次郎さんのエッセイなどを、
一気に、たくさん、読みました。

私の大好きな作家の一人です。

その中に、こんなことが書いてありました。

「大事な人が亡くなったという悲しみは、
いつまでたっても消えることはない」

というようなことです。
そして、

昔は、今よりも人がひんぱんに
亡くなっていたけれど、
それを、昔の人は、それをのりこえて、
じょうずにやっていた、というようなお話でした。

私は、
てっきり、
そういう悲しみは、
時間が解決してくれる、と思っていました。
そんなふうに、どこかできいたことがあります。

ですが、
いくら時はたてども、
ちっとも、その悲しみは、減らないのです。
まだ、努力が足りないのか、と
いくらがんばっても、
その悲しみは、いくら時がたっても減らなかったです。

ふつうに生活できるようになっても、
たまに、
ふと、その人のことを思う。
するとそこには、
いつまでたっても、
おんなじ悲しみが、あります。

ですから、
浅田さんの、
「悲しみは、消えることはない」というお話には、
ほんとうに、びっくりしました。
そして、
それをきいて、ああそういえば、そうだ、と
深く思いました。

そう言ってくれる方があって、よかった、と
思いました。
それっきり、
なんとなく、気もラクになりました。


そういえば、
おじいちゃん、おばあちゃんたちは、
人が亡くなっても、
あたふたもせずに、
その方を「ほとけさん」とよんで、
時には、ほとけさんに助けをもとめたりしてやってたな、と
思い出しました。

浅田さんのお話によれば、
それよりも、
自分もいつかあちらの世界に行くかわからないけれど、
生きてる、ということを、
忘れない、ということだ、と
そう書かれていたと思います。
(はっきりは、忘れました)

たしかに、たしかに。

私は、生きているのだから、
じゅうぶん、
ありがたく、それをいただこう、と
そんなふうに思いました。

ちょうど、
私は、仕事の山もこえたことだし、
のんびり、
ていねいに空気をあじわって、
生きていきたい、と思いました。



みなさん、
お元気で、おすごしください。
きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2018年4月11日水曜日

海外で、日本の本を読む



とても長いこと、日記を書けずにいました。
どうかしたのか、と、
心配してくださった方、
どうもありがとうございました。

番外の仕事が入ったのと、
それから、思うところあって、
変えること、も、ありました。
その作業で、あたふたとしていました。

変えること、というのは、
何かと言いますと、おもに、

一、銀行を変える。
二、本を変える。
三、娘の引越を手伝う。

でした。

まだ、ぜんぶ終わったわけではないですが、
こうして、変えてみると、
気分が軽くなります。
すっきり、
そして、今まで、私は何をしてたのだろう、という
気にもなります。



ちょっと大げさにもきこえますし、
自分でも、たったこれだけのことで、
どうしてだろう、と
説明がつきませんが、
なんとなく、すっきりしています。

まず、
その一、銀行というのは、
ふつうの銀行から、ネット銀行に
引越したのです。

30何年も使っていた銀行。
最初のうちは、
お金が足りなくて、困っている私にも、
なにかと、あたたかい理解を示してくださった銀行。
おかげで、
安定した生活ができるようになりました。

それが、
ずいぶん変わってきています。
もうしばらく前から、
ちょっと気に入らないことも、あります。
新しくできたネット銀行に引越したいと、
思ったこともあります。
でも、
なんとなく、心配でした。

自分のお金が、
ただの数字だけになって、
もしその銀行が消えてしまって、
その数字が、いつのまにか消えちゃったら
それを、どう追いかけて行って、
取り戻すことができるのか。

そうなったらと思うと、心配で、
踏み出せませんでした。

けれど、
今、ネット銀行は、いくつもあります。
ふつうの銀行が、
ネット銀行を出しています。
これなら、信頼できそうです。



銀行の引越。
まだ、ぜんぶ終わっていませんが、
いざやってみると、
とても快適です。
費用も、かさみません。

これなら、もっと前からやればよかった、と
思います。

ついでに、
老後の設計も、
考えています。
これも、ちょっぴり楽しいことです。

いえ、楽しいというより、
考えないと、なんだか、そこに
漠然とした壁があるような気持ちがしますが、
少しは設計してみると、
壁を乗り越える、踏み台ができたような、
さもなければ、
はしごをかける、とか、
いろいろ手段がありそうです。
その壁のむこうには、
何があるのか、
イマジネーションを活発にしています。



変化の、その二、
本を変える、というのは、
紙の本から、電子書籍に変える、ということです。

私は、紙の本が好きです。
日本に行けば、古本をいくつも買ってきます。
フランス語の本も読みます。
でも、
日本語の本を読む速さ、と、楽しみには、
ぜったい、負けます。

そんな時、
娘の一人が、
電子ペーパーは、目にここちいい、と言っていました。
私と似て、
あれほど、神経質で、口うるさい娘が言うのだから、
すぐ、信じて、買いました。

そして
(ちょっとした困難をのりこえて)
日本の本を、この小さな電子ペーパーで、
読むことができるようになったのです!

これは、すばらしい!


電子ペーパーで、
電子書籍をよむことになります。
電子書籍は、
スマートフォンや、パソコンでも
読むことができますが、
電子ペーパーの端末で読むのは、
かなり、ここちいいです。

もちろん、
紙の本は、すばらしい。
でも、外国にいて、
日本の本を、自由に読める、というのは、
もっと、すばらしいです。
それに、
この端末は、夜、おふとんの中で読むのにも、
持つ手が、つかれなくて、いいのです。

もう、うれしくて、たまりません。
これから先、
外国ですごす老後のことだって、
もっと、もっと楽しくなりそうです。

まるで、
日本の本屋さんを、散策しているようです。
昔の私を、見つけたような気持ちです。


などと、
きょうは、ちょっとした、
私にとっては、大きな変化のはなしでした。

読んでくださって、どうもありがとうございました。


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2018年3月21日水曜日

価値観が、くつがえされてしまう



しばらく、ごぶさたしておりました。

なんていうことはないのに、
毎日が、あれよあれよというまに、
すぎていってしまいます。

ところで、
毎日、毎日、寒いです。
寒い風がふいて、
顔が冷たいです。

あら、これは、シベリアからのかしら、と
エキゾチックな気持ちもします。


ところで、先日、
ピアノの生徒さんに、すごい影響をうけました。

私のクラスで、ずっとピアノを習っていた男の子です。
数年お休みしていましたが、
また、クラスに戻られました。
もう、大学生です。
音楽学を勉強中。

今年のはじめに、
ふたたび私のクラスに、来てくださったとき。

うわぁ、大きくなった。
音楽が、もっともっと深くなった。
熟したなぁ。

と、びっくり、うれしく思いました。

ところが、
その彼と、話をしていると、
どうしても、話があわなくて、
まじわらなくて、
ある時点で、2本の、平行線になってしまうことがあるのです。



それは、なんの話かといいますと。

将来、どういう仕事につくか、という話です。

今、彼は、音楽学の大学生ですから、
そのコースでいくと、
たいてい、学校の音楽の先生になる、とか
大学で教える、となります。

けれども、
最近では、高校の音楽の授業の数がへったり、
大学の職も、へったりしていると、聞いています。
仕事が見つからなくて困らないように、
そのへんを、ぜひ、
ちゃんと調べた方がいい、と、
私は、伝えます。
まぁ、これも、私の仕事のうちです。

けれど、
彼は、まぁ、のんきなものです。
ニコニコと、
はい、こんど、調べます、と言ってますが、
あまり、急いでもいませんし、
別に、心配もしてない感じです。

どんなに話しても、
「のれんに腕押し」状態です。



しばらく、話をかわしていて、
私は、

あっ、

と、思いました。

そりゃそうだな、と思いました。
ここで、
ここから、
私たちの話が、平行線になったのだ、と
思いました。

それは、
彼が言うには、

「ボクは、音楽が好きだから。
もしかすると職が見つからない、といっても、
ボクは、他に好きなことは見つからない」

だから、
この道で、チャンスを見つけるしかない、
賭けてみる、というのです。
好きじゃない仕事をする、というのは、
問題外だ、というのです。

それも、
「問題外」という言葉を、
彼は使わなかったです。
「好きじゃない仕事をするなんて」と、
言って、
両手をひろげて、
肩をすくませた。
ただ、それだけです。

ね、わかるでしょ、
そんなこと、できるわけないでしょ、

と、そういう感じでした。

あぁ、なるほど〜、と
私は、深く、深く、感心しました。

それから、
数日間、
今でも、まだ、私は感心しています。
思い出すたびに、あぁ、なるほど、と
感心してしまいます。

そういう発想が、私には、なかったです。
あったかもしれないけれども、
私は、ラッキーにも、
さがしもせずに、好きな仕事につけたけれど、

はて、
うちの娘たちには、
どう教えてきたのだろう、と、
気になってしまいます。

いえ、そういう発想はあったのです。
けれども、ちゃんとそれを伝えたかしら。
学校で、ちゃんとしなくちゃ、と
それに目をとられてなかったかしら。
それに、
仕事が見つからないで、苦労したら、かわいそう、
なんて、思っていたでしょう。

たしかに、
そうです。
好きなことを追求していれば、
たとえ、最初、うまくいかなくても、
好きなことなんですから、
幸せなはずです。
毎日、何年間も、する仕事です。
毎日が幸せだったら、それが一番なはずです。


そんなことを、
そんなあたりまえのようなことを、
忘れかけていました。
生徒さんに、あらためて、おしえてもらいました。

きょうも、読んでくださって、どうもありがとうございました。


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